リリアン女学園幼稚舎、年少組の内藤笙子嬢

西洋人形のような可愛らしい顔立ちが特徴的な女の子である

年長組の小笠原祐巳嬢を遠目から眺めるのが彼女の日課であったけれど

しかし最近、そんな笙子の日常にちょっとした変化が訪れた

 

まず変わったのは、笙子の制服のポケットの中身だ

笙子の制服のポケットには2枚のハンカチが収められるようになった

1つは普段から自分で使っているもの

そしてもう1つは、祐巳から貰った白いレースの縁取りのハンカチだ

先日ふとしたきっかけで交換してもらった祐巳のハンカチ

憧れの人の物という事も手伝って、笙子にとってこのハンカチは宝物のようなものだった

 

笙子は時折祐巳から貰ったハンカチを眺めては一人幸せそうに微笑んでいた

ハンカチを頬に当ててみると、じんわりと心が温かくなっていくような気がした

そして、小笠原祐巳という存在を身近に感じる事ができるから不思議だった

 

 

 

そしてもう1つの決定的な変化が、憧れの祐巳と親しくなれたという事だった

今までは遠くから見ていることしかできなかったんだけど

けど今はすれ違えば挨拶をするし、そこで足を止めて普通にお話をするし

そして機会があれば、一緒に遊んだりするようにもなった

笙子にとってこれは夢のような出来事だった

こんな事は今までではとても考えられなかったから

 

 

しかし仲良くなったと言っても、それでもまだ気恥ずかしいらしい笙子

まだ遠くから眺めている事も多かった

そんな自分に祐巳が気がついて誘ってくれるのを待っているような

そんな日々を、笙子は送っている

 

 

それでも祐巳との距離が縮まったと事は本当に幸せな事だ

以前と比べて毎日が楽しく感じられる

だけど、祐巳と親しくなれたという事は、逆に敵を作るという事でもあって・・・

 

 

自由時間の教室で、笙子がいつも通り祐巳のハンカチを眺めていた時だった

 

 

「あら?」

 

 

少し演技がかったような声が笙子のすぐ傍で上がる

笙子が顔を上げるとそこにいたのは松平瞳子嬢

良く見てみるとその両脇には細川可南子嬢と藤堂乃梨子嬢の姿も見える

 

自他ともに認める、祐巳の妹トリオである

3人がお互いに険悪なようで実際にはこうして一緒に行動している事が多い

それが笙子にはちょっと不思議だった

 

 

瞳子は笙子の手にあるハンカチをちらりと一瞥した

 

 

「それは、ゆみさまのハンカチですわね」

 

 

「え?」

 

 

驚いたのは笙子だった

 

 

「どうしてわかるの?」

 

 

「だって、そうかいてありますもの」

 

 

瞳子はハンカチをそう言いながらハンカチを指差した

皆の視線が笙子のハンカチに集まる

確かにそこには『YUMI OGASAWARA』と刺繍してあった

けれど、アルファベットを読めない笙子たちにはちんぷんかんぷんだ

 

瞳子はフフンと得意げに鼻を鳴らした

 

 

「よかったですわね、しょうこさん。ゆみさまからハンカチをいただけて」

 

 

と言いつつ胸を張って自分の首にかかっているロザリオを見せびらかしてくる瞳子

嫌でも笙子の視界に入ってくるそれは、蛍光灯の光を受けて自慢げに輝いていた

本当はこのハンカチが羨ましいなんて思っていないという事は、笙子にもすぐにわかった

ハンカチとロザリオ、どちらが価値があるかなんて誰の目にも明らかだ

 

 

「うらやましいですわぁ。ま、わたくしは、ロザリオをいただきましたけれど」

 

 

 

 

ロザリオ、の部分を強調して言ってくる瞳子

その一言に笙子はカチンときた

全く余計な言葉だった

せっかく人が良い気分で祐巳のハンカチを眺めていたのに

くやしくて、目頭が熱くなってくる

 

 

「ちょっと、とうこ。やめなよ」

 

 

「おとなげないですよ、とうこさん」

 

 

と、一見瞳子を制止しようとしているかのような乃梨子と可南子であったが

しかしそんな2人もちゃっかり笙子に自分のロザリオを見せつけてきたのであった

笙子を新たなライバルと認定した祐巳の妹トリオ

普段はいがみ合ってばかりの3人も、相手を蹴落とす時だけ団結が早かった

 

 

 

さらに笙子にとって気の毒だった事は、最近祐巳が変な遊びに夢中になっていると言う事だった

一体誰の影響なのか、最近やたらと人に抱きつている祐巳

何か知らないけれどそうするのが無性に楽しいらしく、見境なく色々な人に抱きついていたのである

 

それを間近で見ている由乃や瞳子たちにとってそれは頭痛の種だった

当然祐巳のそんな遊びを快く思っているわけがない

だって祐巳が誰かに抱きつく度に、祐巳の虜になってしまう人が増えてしまうから

そんなものだから最近の瞳子たちは、祐巳に近づこうとする輩に対して過敏とも言えるくらい神経質になっていたのである

そして、笙子は哀れにもその犠牲になってしまったのだ

 

 

そんな瞳子たちの連係プレーに笙子はひどく落ち込んだ

目の前の3人は妹の証であるロザリオ

それに対し、ハンカチで喜んでいる自分

そんな自分が何だか惨めに感じられた

悔しさのあまり、笙子はぐっと唇を噛む

 

 

いや、しかし

 

 

笙子は懸命に自分を奮い立たせた

確かにロザリオに比べたら特別な重みはないかもしれないけれど

でもこのハンカチは祐巳と自分を繋ぐ絆だ

祐巳と仲良くなれたきっかけだ

他人から見ればただのハンカチでも、笙子にとって絶対的なものなのだ

それをバカにされるのは絶対に許せない

 

 

笙子は目に浮かんだ涙を腕で拭って、がたん、と音を立てて椅子から立ち上がった

それに驚いて瞳子たちは目を見開いた

果敢にも笙子は、3人に立ち向かう

 

 

「ロザリオなんて、べつにいいもん。このハンカチ、あったかいもん。ゆみしゃまのにおいがするもん!」

 

 

ふん、と横に顔を向けながら笙子は言う

精一杯の強がりである

瞳子たちのロザリオが羨ましくないかと言えばそんな事は絶対にない

けれどそんな強がりも、瞳子にはばっちり効き目があったようだ

瞳子は悔しそうに顔を歪めている

 

 

「・・・ゆみさまの、におい」

 

 

しかし一番悔しそうにしてたのは瞳子の隣の可南子だった

ごくり、と喉を鳴らして笙子の手にあるハンカチを羨ましそうに凝視している

どうやら可南子はそういう趣向のマニアックな女の子のようだった

 

そんな様子を見て少しは気が晴れた笙子

べーっと舌を出して立ち去ろうと思った、その時だった

 

 

「しょうこちゃん!」

 

 

廊下から元気な声が飛んできて、笙子は振り返る

その先では花が咲いたような笑顔を浮かべている祐巳の姿

どうやら年少組の教室の前を偶然通りかかったらしい

もちろんその横には祐巳の親友の島津由乃嬢の姿も見える

 

眉間に皺を寄せている由乃の隣で、祐巳はぶんぶんと手を振っていた

それを見た途端に笙子は頬が熱くなっていくのを感じる

憧れの人が、自分に対して手を振ってくれている

 

 

「ゆ、ゆみしゃま」

 

 

突然の状況にどうすれば良いのか分からず固まってしまう笙子

そんな笙子に向かって、祐巳は勢い良く駆け出した

笑顔を浮かべたまま、まっすぐに笙子の元へと駆け寄ってくる

 

 

「え、ちょっと、ゆみしゃ・・・・・・・・・」

 

 

「しょうこちゃん、ごきげんよう!」

 

 

 

 

そして、そのままの勢いで、祐巳は真正面から笙子に思いっきり抱きついてきた

 

 

「・・・・・・・・・」

 

 

途端に水を打ったように静まり返る教室内

誰もが言葉を失ってしまっていた

しかし当の祐巳だけは、とても満足そうに頬を緩めている

 

 

「な、な、な、ゆみさま」

 

 

「ゆみさん、なにしてるのよ!」

 

 

「へ?」

 

 

静寂を打ち破る由乃の怒声に、祐巳は間の抜けた声を上げた

何でそんな風に怒るのかわからない

祐巳はそんな表情を浮かべていた

もちろん、相変わらず笙子に抱きついたままの状態で

 

そんな祐巳に、ますます怒りで顔を赤くする由乃と瞳子であった

 

 

「なんで、しょうこちゃんにだきつくのよ!それも、しょうめんから!!」

 

 

今までは抱きつくといっても、不意打ち的に背後から抱きついていたのに

しかし今日の笙子に限っては真正面から堂々と抱きついていた

 

 

「だって、しょうこちゃんって、ちっちゃくて、かわいいんだもん。おにんぎょうさんみたい」

 

 

言いながら祐巳は、笙子を抱きしめる腕にさらに力を込める

 

 

「だから、こうやって、ぎゅってしたくなるの」

 

 

「んなっ・・・・・・・・・」

 

 

それを聞いた瞳子たちの顔が、一瞬にして嫉妬に染まっていった

そして顔を真っ赤にしながらも、ちゃっかり祐巳の背中に腕を回して抱きついている笙子

あのハンカチと同じ良い匂いがして、笙子はそれを胸いっぱいに吸い込んだ

祐巳はそんな笙子を、上から覗き込むようにして見つめていた

 

 

そこで瞬間的に祐巳は思い出す

かつて自分も、今の笙子みたいに見つめられた事があった

こんな風に真正面から抱きつかれて、上から覗き込むように見つめられて

そう、相手は確か白薔薇さまの佐藤聖だった

あのとき聖は、こんな風に自分を見つめてきて、そして訊いてきたのだ

 

 

訊いてきたって、どんな事を?

 

 

祐巳はそれを思い出して、自らも同じく笙子に訊ねた

 

 

 

「しょうこちゃん、わたしのペットにならない?」

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

祐巳のまさかの一言に、再び静まり返る教室内

 

 

「・・・・・・・・・は?」

 

 

笙子も思わず耳を疑った

今、目の前の憧れの人は、自分に何て言ったのだろう?

 

 

「だから、わたしのペットにならない?」

 

 

「・・・・・・・・・」

 

 

祐巳からすれば、いやらしい気持ちで言った言葉ではなかった

ただ単純にもっと仲良くなろう程度のニュアンスなのだ、何も知らない祐巳にとっては

けれど当然、周りの人たちはそう思っているわけではなくて・・・・・・・・・

 

 

笙子は顔を真っ赤にしながら、祐巳の腕の中に顔をうずめる

そしてその中で笙子は小さく頷いた

それを見た祐巳は満足そうに、そして呑気に頬を緩めていた

もちろん、周囲で不穏に流れる殺気には当然気づかないまま

 

 

 

こうして妹3人に加えて新たにペットが1人加わった

どこまでも際限なく広がっていく、祐巳の奇妙な人間関係

以降、笙子はさらに祐巳にどっぷりと浸かっていく事になった

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