どうすれば良いのか分からず、二人は放心したように目の前を行き交う人々を眺めていた

辺りの喧騒がどこか虚ろに聞こえて、しかし、ソフトクリームは既に溶け出していた

これは現実の出来事であるという事を示すように

 

 

「………ゆみ、どうしよう」

 

 

祐麒は不安を滲ませながら隣の祐巳に聞いた

祐巳は「うーん」と小さく唸って、手元のソフトクリームに視線を落とす

 

 

「これ、たべよ。とけてきちゃったし」

 

 

「う、うん」

 

 

割と落ち着いた様子である

もっと取り乱しているかと思ったのに意外だった

それに比べて自分はこんなに取り乱してしまっている

それを考えると、急に恥ずかしくなってくる祐麒だった

 

 

2人は店の前に設置されているベンチに並んで腰をかけた

祐巳は片手で傘をさしたまま、もう片方の手で器用にソフトクリームを食べている

それはもう、これ以上ないと言うくらいに幸せそうな表情だった

 

 

「………かしわぎのやつ、どこにいったのかな」

 

 

対して未だに不安の中で揺れているのか、祐麒の声はどこか沈んでいる

 

 

「おトイレにいってるのかも」

 

 

「そうなのかなぁ………」

 

 

しかしそうだとしても優が自分達に何も告げずに行く事はちょっと考えにくかった

人間性に幾分か問題はあるけれどそれを除けばしっかりしている人間だ

祐麒は柏木家で時間を過ごして、渋々ながらもその事実だけは認めている

果たして優は、子供たちを放り出してどこかに行ってしまうような無責任な男だったろうか

 

 

祐巳はソフトクリームを食べ終えて、暇を持て余すように足をぶらぶらと揺らしていた

祐麒はと言うと、仕方なく2本目のソフトクリームを食べている真っ最中だった

いつまで経っても姿を現さない優

どんどん溶けてくるソフトクリームを捨ててしまう訳にもいかず、結局祐麒が食べる事にしたのだった

 

 

しかし、その2本目のソフトクリームを食べ終えても、一向に優はやってこない

 

 

「………こないね」

 

 

「うーん………」

 

 

祐巳は難しそうにそう唸って首を傾げている

その横顔を、祐麒は不安に揺れる眼差しで見つめていた

 

 

 

一方その頃

 

 

 

「さて………ユキチは、どこまで我慢できるかな」

 

 

2人の様子を窺いながら優はぽつりと呟いた

どこか意地の悪い笑みをその端正な顔に浮かべながら

祐巳と祐麒に見つからないよう、優は物陰に身を隠していたのだった

 

 

優は待っている

不安になった祐麒が自分を呼んでくれるのを

祐麒が自分の名を呼んだ瞬間に颯爽と助けに現れる準備は既に出来ていた

 

 

優は不満なのだった

一緒に暮らすようになってだいぶ経つというのになかなか懐いてくれない祐麒

生意気で素直じゃない弟もそれはそれで可愛いものだけれど

しかしやはり優は祐麒と仲睦まじい兄弟でいたいのである

それこそ、そう、小笠原姉妹にも負けないくらいの

自分がいかに大きい存在なのかを祐麒に思い知らせるには、これはなかなか良い機会だった

 

 

「さぁユキチ………僕の事を『お兄様』って呼んでごらん」

 

 

ふふふ、と笑みを浮かべながら不気味に呟く優

周りの人が不審そうな目で見ている事には、当の本人は全く気付いていなかった

 

 

 

 

 

 

「どこいったんだ、かしわぎのやつ」

 

 

そわそわと落ち着き無い様子で、苛立たしげに祐麒は言葉を吐いた

しかしそれは不安の裏返しでもあった

強がっていないと、どんどん肥大化している不安に飲み込まれてしまいそうな気がしたのだ

 

もし、このまま優が現れなかったら

もし、誰かが自分達を誘拐しようとしたら

もし、このまま家に帰れなかったら

 

よからぬ考えがどんどん祐麒の脳裏に浮かんでくる

しかしそれでも祐巳の手前、弱気な姿を見せる訳にはいかない

 

 

「ゆうき、だいじょうぶ。そのうち、きっともどってくるよ」

 

 

しかし祐巳はというと、本当に何でもないと言うように、普段と同じくのんびりとした様子だった

それが祐麒にはショックだった

自分は内心こんなに不安なのに、祐巳は平然としているなんて

 

 

「なぁ、ゆみ」

 

 

「ん、なぁに?」

 

 

「ゆみは、その、こわくないのか?おれは、べつに、へいきだけど」

 

 

「うん、こわくないよ」

 

 

事も無げにさらりと言ったものだから、祐麒は驚いた

 

 

「な、なんでだよ。もしかしたら、おいてかれたかもしれないんだぞ」

 

 

「へいきだよ。だって」

 

 

「だって?」

 

 

祐巳は一旦言葉を切って、穏やかに微笑んだ

 

 

「だって、いざとなったら、おねえさまがきてくれるもの」

 

 

確信を秘めた表情で祐巳は言い切った

祐麒は愕然とした

その言葉は他の何よりも衝撃的だった

祐巳が信じているのは、本当に頼りにしているのは、自分ではなくて祥子だったからだ

 

 

自分がどんなピンチに陥っても、必ず祥子は助けに来てくれる

その思いは確信となって祐巳の心に深く根付いていた

祥子の存在は祐巳の中で強固な支えとなっていた

だから祐巳はこのような状況になっても平然としていられるのである

 

 

 

祐巳が心の底から信頼しているのは、自分ではなくて、祥子なのだ

 

 

 

その事実は祐麒を徹底的に叩きのめした

祐麒は悔しくてたまらなかった

目頭がじんわり熱くなって祐麒は喚き散らしたい衝動に駆られる

祐巳の目の前で泣く訳にはいかないから、それはぐっと我慢したけれど

 

 

容赦なく降り注ぐ昼下がりの陽光

避暑地という事で東京に比べれば幾分か日差しは柔らかく感じられるものの

しかしそれでも、やはり暑いという事に変わりは無い

 

夏の日差しと、優がいなくなってしまった事に対する不安

そして焦燥感が汗となって祐麒の頬を伝っていた

そして、何より無力な自分への苛立ち

色々な思いと感情が祐麒の頭の中を交錯していた

それは一向に収集する気配を見せず、むしろどんどん大きくなっていくばかり

どうすれば良いのか分からず、祐麒はすっかり混乱してしまっていた

 

 

「ゆうき、だいじょうぶ?あつくない?」

 

 

そんな祐麒の様子を察したのだろうか

隣の弟を心配して、祐巳は日傘を祐麒の上にかざしてあげた

日差しを直に受けて優を待っているのは辛いだろうと

けど祐麒は

 

 

「だいじょうぶだよ」

 

 

そうぶっきらぼうに言って、すぐに日傘の影から出て行ってしまった

 

 

「このひがさ、おおきいから、ふたりともはいれるよ」

 

 

そう言って祐巳は再び祐麒を日傘の中に入れてあげたが

 

 

「だいじょうぶだって、いってるだろ」

 

 

やっぱり祐麒は強情にもそう言い放って日傘の中から一歩外へ踏み出してしまうのだった

 

 

祐巳からすれば理解できない行動である

大丈夫だと祐麒は言うけれど、どう見ても辛そうに映るのだ

どうしてそんなに意地になっているのか祐巳には分からなかった

一緒に日傘の中に入って優が戻ってくるのを待っていれば良いのに、と

 

 

けれど祐麒にとってはそこは譲れない一線なのだった

祐麒は、祐巳から優しくされるのが悔しくて、そして情けなくて仕方が無いのだ

祐巳は自分が守るとかつて誓ったはずなのに

しかし現実は、こんな状況でも祐巳は平然と構えていて、祐麒は不安に駆られて狼狽してしまっている

これではどちらが守られているのか分かったものではない

そんな状況で祐巳に気遣われるのは、祐麒のプライドが許さなかった

 

 

じりじりと照り付ける夏の日差し

顔を伝っていく汗

苛立ちやら焦燥やらが入り混じって頭がぼんやりする

それでも、祐麒はじっと我慢して、何でもない風に装っていた

自分は平気だと言うように

今の祐麒を支えているのは、祐巳に良いところを見せたいという一心だけだった

 

 

 

 

 

そして、その様子を相変わらず物陰から見ていた優は

 

 

「ユキチのやつ、意外に頑張るな………」

 

 

感心するように優は呟いた

もっと早く音を上げると思っていたのに

やはり隣の祐巳の存在が大きいのだろうか

祐麒の、祐巳に対する想いの強さは、優は充分過ぎるほど知っている

 

 

祐麒がなかなか自分の事を呼んでくれないというのは残念だが

それとは裏腹に、異常事態でもじっと我慢して気丈に振舞っている祐麒を嬉しく思ったりもする

きっと祐巳に格好良いところを見せたいのだろうけれど

そんな祐麒の子供らしいいじらしさは、少なからず優の胸を打つものがあった

 

 

「弟の成長は素直に嬉しいけれど………」

 

 

しかし、早く助けに呼んで欲しいとも思う優の心中としては、なかなか複雑である

 

 

さて、どうしたものかと優は考える

だんだん祐麒が可哀想になってきたし、そろそろ2人の前に姿を現すか

それとももうちょっと待ってみるか

 

優が逡巡していたその時だった

祐麒が突然祐巳の腕を掴んで立ち上がった

 

 

 

 

 

 

「ゆうき?」

 

 

祐巳は驚いて祐麒を見上げた

腕を掴む祐麒の手は汗ばんでいる

 

 

「どうしたの?」

 

 

「さがしにいく」

 

 

「へ?」

 

 

「かしわぎのやつ、さがしにいく」

 

 

痺れを切らしたように、祐麒は言った

ここで待っていて本当に優はくるのか

こうしている間にも優はどんどん遠くへ離れていってしまっているのではないか

色々な不安が浮かんでは圧し掛かってきて、ついに祐麒は耐えられなくなったのだった

 

 

「でも、ここでまってるよって、すぐるおにいさまが………」

 

 

「いいから!」

 

 

引っ張るようにして祐巳を立ち上がらせると、祐麒は自分達がやってきた道を引き返す形で歩き出した

向かってくる人波をものともせず、ぐいぐいと掻き分けて

その様子を見て驚いたのが優だった

行き交う人々の中に2人が紛れ込んでしまうと、姿が見えなくなってしまう

優は慌てて2人の後を追いかけた

 

 

「ゆうき!」

 

 

日傘を懸命に支えながら、祐巳は前を行く祐麒に声をかけたが、祐麒は振り返らない

 

 

祐麒はがむしゃらに前へ向かって進んだ

追い立ててくる不安を振り払うように

向かってくる人ごみを超えた先に優が居るのではないかという一筋の希望を胸に

このまま優が見つからなかったら、という恐怖は相変わらずあるけれど

それでも祐麒は、祐巳の事を何が何でも守ると誓っていた

今はただその強固な覚悟と使命感が祐麒を突き動かしているのだ

 

 

「ゆみ、だいじょうぶだから」

 

 

ほとんど呟くように祐麒は言った

気を抜いたら声が震えてしまいそうだった

両の瞳から涙が溢れそうになった

それでも祐麒は、必死に自分を奮い立たせて、ぐっと奥歯を噛む

 

 

「おれがついてるから。だから、しんぱいするな」

 

 

毅然とした声で祐麒は言って、そして祐巳の手をぎゅっと強く握った

絶対に何が何でも放さないと言うように

自分は絶対に祐巳を守るんだという鉄壁の意思を込めて

祐巳は驚いて、前の祐麒の背中へを視線を向ける

 

 

 

あれ、と祐巳は思った

 

 

 

祐麒の背中って、こんなに大きかったっけ?

 

 

 

「ユキチ!祐巳ちゃん!」

 

 

突然背後から響く声

祐麒と祐巳はぴたりと足を止めて振り返る

そこには、安堵の表情を浮かべている優の姿があった

 

 

「良かった。2人とも、見失ってしまうかと………」

 

 

「ばかっ!」

 

 

歩み寄ってきた優に噛み付くように祐麒は怒鳴り声を上げた

これまで積み重なった不安や恐怖を一気に解放するように

あまりに大きな声だったものだから、辺りを行く人々が一斉に振り返った程だった

 

 

「この、ばか、ばか、ばかっ!どこいってたんだよっ」

 

 

「ごめんユキチ、悪かったよ」

 

 

優はぽんぽんと祐麒の頭を優しく叩く

よく見ると祐麒の目じりにうっすらと涙が浮かんでいた

どうやら張り詰めていた緊張感が切れてしまったようだった

 

 

それでも泣かないのは、やはり祐巳がすぐ側にいるからか

自分のみっともない姿は見せたくないのだろう

それによく見たらまだ祐巳の手を握っていた

祐麒の、祐巳を守りたいというを意思を未だに示しているかのように

 

 

「やれやれ」

 

 

優はそう言って肩をすくめる

 

 

「全く、祐巳ちゃんには敵わないな。羨ましいよ」

 

 

苦笑交じりに優の言葉に、祐巳は不思議そうに首を傾げていた

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 

色々とあったものの無事に小笠原家の別邸に戻った3人

そして全ての事の顛末を聞いた祥子は、やはり烈火の如く怒ったのだった

 

 

「優さん、一体どういうつもりなの!祐巳たちにもしも何かあったら………」

 

 

「ごめん、ごめんってば。僕も反省してるし、そんなに怒らないでくれよ」

 

 

「全く、貴方っていう人は………」

 

 

こめかみに手をあてて祥子はため息をこぼす

 

 

「今回は完全に僕の不注意だったよ。2人には本当に申し訳ない事をしたと思っている」

 

 

実際は祐麒を試すためにわざと身を隠したのだけれど

優は真相は祥子には黙っている事にした

そうなるととても説教だけでは済みそうに無かったからだった

 

 

 

結局、祐麒は優の事を助けに呼んでくれなかった

本来の目的が果たせなくて、それは少し残念だったけれど

しかし祐麒は怖いのを堪えて、祐巳を心配させまいと一生懸命頑張っていた

弟の立派な姿は素直に嬉しいと感じる優である

 

 

しかし、やはり悪戯の代償は大きかったようで

 

 

「なぁ、ユキチ」

 

 

優は、リビングでジュースを飲んでいる祐麒に声をかける

 

 

「………」

 

 

「ユキチってば」

 

 

「………」

 

 

「おーい、ユキチ………」

 

 

「………」

 

 

祐麒はまだ優がなかなか戻ってこなかった事にご立腹らしい

優の呼びかけに振り向きもしない

どうやらまたしても柏木兄弟の距離は離れてしまったようだった

 

 

 

(………あんな企てをした自分が悪いって言えば悪いんだけど)

 

 

 

因果応報

仲良くなるどころか逆の結果になってしまい、人知れず肩を落とす優であった

 

 

 

「祐巳」

 

 

 

祥子は、祐麒の隣に座っている祐巳の元へ歩み寄った

そして腰をかがめて優しく祐巳の頭を撫でる

 

 

「祐巳、怖くなかった?大丈夫?」

 

 

労るような優しい口調で祥子は訊ねる

慈愛のこもった響きで

それに対して、ううん、と祐巳は首を横に振った

 

 

「だいじょうぶだよ」

 

 

「本当に?」

 

 

「うん。だって」

 

 

そこで言葉を切って祐巳は隣の祐麒の方へと振り向く

そして祐麒と目が合うと、祐巳はにっこりと笑みを浮かべて、

 

 

 

「ゆうきが、いっしょにいたから。こわくなんてなかったもん」

 

 

 

素直で真っ直ぐな、祐巳の心からの言葉だった

それを聞いた祐麒は照れくさそうに頬を赤くする

面と向かって言われると何だか嬉しいような、くすぐったいような、微妙な気持ちになった

それでも

 

 

 

「あたりまえだろ」

 

 

 

祐麒は胸を張って、誇らしげな顔でそう言ったのだった

自分は立派に役目を果たしたのだと言わんばかりに

色々と怖い思いもしたけど少しだけ大人になれたような

そんな夏休みの一幕だった

 

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