商店街へは優の運転する車で向かった

まだ免許は取りたて、しかもどちらかと言うと攻撃的な運転をする優であったが

しかし今回ばかりは極めて安全に配慮した運転で、平穏に目的地へとたどり着いた

出発前に祥子からしっかりと釘を刺されていたのだ

 

 

「優さん、くれぐれも安全運転でね。祐巳たちに何かあったらただでは置かないわよ」

 

 

凄みを利かせて言う祥子にさすがの優も素直に従うしかなかった

だけど、もしかしたら無茶な運転でも子供たちは楽しんでくれたのではないか

後部座席で無邪気にはしゃいでいた祐巳を見てそんな事を思う優であった

 

 

予想通りメインストリートでは人でごった返していて、辺りは活気に満ち溢れていた

すれ違う足音、明るい笑顔、陽気な喧騒

洒落た感じのレストランやアンティークショップ

祐巳にとって目に見えるもの全てが新鮮で刺激的だった

 

 

行き交う人々の間を、優と祐麒と祐巳がかき分けていく

ちなみに優は祐麒と、そして祐麒は祐巳と手を繋いでいた

空いている祐巳の片手には、もちろんお気に入りの白い日傘だ

日傘をさして歩くという事だけでも祐巳はすっかりご満悦な様子だった

 

 

「祐巳ちゃん、日傘は気に入ったかい?」

 

 

間に祐麒を挟んで優が尋ねると、祐巳は「うん」と元気良く返事をした

 

 

「このひがさ、しまこおねえさまみたいで、とってもかわいいの」

 

 

「"しまこおねえさま"?」

 

 

思わず怪訝そうな表情を浮かべる優

聞きなれない名前である

どこかで聞いたような気がしないでもないけれど、しかしはっきりと思い出せない

でも少なくとも知り合いの中にはいないはずだ

 

 

「祐巳ちゃん、"しまこおねえさま"って誰だい?」

 

 

聞かれて祐巳は得意そうな表情を浮かべた

まるでそう訊ねられるのを待っていたと言わんばかりに

大好きな志摩子の事を誰かに教えてあげるのは、祐巳にとって嬉しくて楽しいことなのだ

 

 

「しまこおねえさまは、わたしのおねえさまなの」

 

 

「祐巳ちゃんの"おねえさま"?」

 

 

祐巳の"おねえさま"って祥子の事ではないのか

優は一瞬そう思ったけれど、すぐに記憶の中からその意味する事を引っ張り出してきた

リリアン独自の、伝統ある習わし

「あぁ」と納得したように優は呟いた

 

 

「祐巳ちゃんは、その"しまこさま"という方からロザリオを頂いたんだね?」

 

 

「うん、そうなの!」

 

 

ほら、と祐巳は首にかけてあるロザリオを優に見せる

姉妹制度って高等部からではなかったか、と優は思ったけれど

でもこの無邪気な天使の前では、そんなルールも簡単に破られてしまうかもしれない

自然と優は笑みを零した

 

 

「祐巳ちゃん、その"しまこさま"という人は、どんな方なんだい」

 

 

えっとね、と言って祐巳は身を乗り出した

 

 

「しまこおねえさまはね、きれいで、やさしくて、わたしのこと、なんでもしってるの。

わたし、しまこおねえさまのこと、とーってもだいすきなの!」

 

 

仄かに頬を染めながらも饒舌に話す祐巳

まだ幼いながらも、恋情を滲ませるその表情はまさに恋する乙女と言うべきか

ここまでの惚れようだとさぞかし祥子も嫉妬と憂慮の気持ちで一杯だろう

そう思うと苦笑せずにはいられない優である

そして

 

 

「おいユキチ、なに拗ねてるんだ?」

 

 

優が思い浮かべた祥子と同じ表情をしていたのが、隣の祐麒だった

からかうような優の言葉に、祐麒はぷいと顔を背ける

 

 

「べつに、すねてなんかないよ」

 

 

ふん、と面白くなさそうに言い捨てる祐麒

祐麒の祐巳に対する想いといったら祥子にだって負けないくらいだ

それは唯一の肉親だからという理由からくるものなのか、はたまたそれ以上の感情なのか

いずれにしても祐麒にとって、祐巳が自分に目もくれず他の誰かに心惹かれてしまっているという状況は、不愉快な事なのだ

自分以外の誰かと仲良くしているのは楽しくない事なのだ

さすがは兄と言うべきか、優は祐麒のそんな心境をちゃんと見抜いていたのである

 

 

祐巳は不思議そうな顔で、覗き込むようにして祐麒を見た

 

 

「ゆうき、おこってるの?」

 

 

「べつに、おこってないよ!」

 

 

とは言ってもどう見ても怒っているのは明らかであって

しかし祐巳からすれば何で祐麒が怒っているのかさっぱり分からない

祐巳は困ったような表情を浮かべた

 

 

「こらユキチ、お姉ちゃんを困らせたら駄目だろ」

 

 

「かしわぎには、かんけいないだろ」

 

 

鈍感な姉と意地悪な兄に挟まれてすっかりご機嫌斜めの祐麒

そっぽを向いて不満そうな顔をしている

 

 

やれやれ、と優は肩をすくめた

最愛の弟の反応が微笑ましくてつい弄りたくなってしまう

こんな子供らしい素直な反応が優には眩しくて仕方がないのだ

けどあんまり祐麒の純情を冷やかすのも可哀想か

そう思って優は話の転換を試みた

 

 

「なぁユキチ、いい加減『柏木』って呼ぶの止めてくれないか。

仮にも僕たちは兄弟なんだし、『お兄ちゃん』とか『お兄様』とか」

 

 

「やだ」

 

 

「祐巳ちゃんだってちゃんと僕の事を"優お兄さま"って呼んでくれてるんだよ。

だからユキチもそういうところを見習って、僕の事を………」

 

 

「いーやーだ!」

 

 

どこまでも頑なな祐麒である

 

 

「全く素直じゃないなぁ、ユキチは」

 

 

こめかみに手を当てて、多分に演技がかった仕草で優は盛大にため息をついて見せた

 

 

「そんなんじゃ、いざって時に助けてやらないぞ」

 

 

「はぁ?」

 

 

「ユキチ、知ってるか?先日祐巳ちゃんは迷子になってしまったんだけど、

さっちゃんが見事に祐巳ちゃんの事を見つけてみせたんだ。そうだろ?祐巳ちゃん」

 

 

「うん」

 

 

迷子になるというのは祐巳にとって恐ろしい体験ではあったが

しかしそれ以上に祥子が助けに来てくれた事が嬉しかったらしい

先ほどの志摩子について語る時とはまた別で、じんわりと温かな微笑を滲ませた

 

 

「わたしが"おねえさま"ってよんだらね、おねえさま、ほんとうにきてくれたんだよ」

 

 

今でもその時の光景をはっきりと思い出すことができた

天を仰げば幾重にも枝葉を重ねて光を遮る木々

次第に周囲は闇を濃くしていって、自分の足音と心臓の鼓動ばかりが響いて

どんどんと降り積もっていく不安の中、祐巳は祈るように祥子の名を呼んだのだ

いつでも自分の味方で、祐巳の側に居てくれた大事な人を

 

 

そして、祥子は本当に来てくれたのだった

 

 

自分がどんな危機的な状況に陥っても祥子は絶対に助けに来てくれる

祐巳の心の中ではそんな確信に近い思いがあった

幼稚舎の親友たちとも、山百合会の人々とも違う、特別で強固な絆

祐巳にとってそれは何よりも大切なもので、そして心の支えとなるものだった

 

 

「な、ユキチ、凄いだろう?名前を呼んだら助けに来てくれたなんて。まるで魔法使いみたいじゃないか」

 

 

「べつに」

 

 

「小笠原姉妹は凄いよなぁ。きっと祐巳ちゃんが世界のどこかに行ってしまっても、さっちゃんは見つけてしまうんだろうな」

 

 

祐麒は苛立たしそうな顔で黙っている

 

 

「本当に羨ましい。なぁユキチ、僕たちもそんな風に仲良くなりたいと思わないかい?」

 

 

「………やだ」

 

 

少しも懐く様子を見せない祐麒に、優は「やれやれ」と呟いた

全く、小笠原姉妹はあんなに仲が良いと言うのに

焦っているわけではないが、しかしそれでもそんな関係を羨ましいと思う優であった

 

 

「なぁ、ユキチ。そんなんじゃ、ユキチが迷子になっても、僕は見つけてあげられないかもしれないよ」

 

 

「べつにいいよ、かしわぎにみつけてもらわなくても!」

 

 

噛み付くように祐麒は言った

どうやらすっかりへそを曲げてしまっているらしい

もっとも、それは優が祐麒をからかったという事だけが理由なのかは分からなかったけれど

 

 

「ふーん、そうか。ユキチは僕が助けに来なくても、全然構わないんだね」

 

 

「………」

 

 

祐麒は無言で肯定の意を表していた

その隣で祐巳は心配そうな顔で事の成り行きを見守っている

当の優はと言うと、特に変化はなく、いつもの飄々とした涼しげな笑みを口元に浮かべていた

しかし、曲げた人差し指を顎に添えて、何か考え事をしているようにも見えた

 

 

「そうかそうか、別に良いのか………おや?」

 

 

優がわざとらしく声を上げた

つられて祐麒と祐巳もその視線を追う

その先で真っ先に目に付いたのが、巨大なソフトクリームのオブジェ

祐巳はそれを見てぱっと目を輝かせた

 

 

「ソフトクリームやさんだ!」

 

 

「祐巳ちゃん、ソフトクリームが好きなのかい?」

 

 

「うん、だいすき!」

 

 

満面の笑顔に優の頬もほころぶ

ふくれっ面の祐麒も少しは心が動いたのだろうか

ソフトクリームを販売している店をじっと見つめていた

 

 

「よし。それじゃ、皆でソフトクリームを食べようか。………あぁ、そうだ。

ここはユキチに買ってきてもらおう。お金は渡すから」

 

 

祐麒は驚いたような顔で優を見上げた

いきなり何を言い出すのかと

優は相変わらずの笑顔で、上から覗き込むように祐麒と顔を合わせた

 

 

「ユキチ、できるよな?もうお兄さんだもんな」

 

 

「あ、あたりまえだろ!」

 

 

一人でお買い物なんて祐麒はまだ体験した事のない未知の領域である

しかし隣で祐巳が見ている以上、出来ないなんていう事は祐麒のプライドが許さなかった

 

 

優はにっこり笑って、ポケットの財布から千円札を抜き出した

 

 

「じゃあ、お願いするよ。………あぁ、そうだ、祐巳ちゃん。

祐巳ちゃんも一緒に付いて行ってやってくれないかな」

 

 

「へ?うん、いいよ」

 

 

「いいよ、おれひとりで、だいじょうぶだよ」

 

 

祐麒は反論したが、その威勢のいい言葉を優はひらりとかわした

 

 

「3人分のソフトクリームだ。ユキチ1人じゃ、もってこれないだろう?」

 

 

「もってこれるよ!」

 

 

優は人差し指を立てて横に振った

 

 

「せっかく買ったのに、地面にでも落としてしまったら大変だ。

皆に迷惑をかけてしまうし、もちろん僕も良い気分はしない。

別に祐巳ちゃんに手伝ってもらう事は、恥ずかしい事でもなんでもないぞ」

 

 

「でも………」

 

 

祐麒が押し黙っていると、祐巳は祐麒の服をくいと引っ張った

 

 

「ゆうき、わたしもいっしょにいくから、ね?」

 

 

「………うん」

 

 

祐巳の手を借りるのはちょっと格好悪い気がしたけれど

でもソフトクリームを落としてしまったらもっと格好悪い

それに優にも怒られそうだ

祐麒は渋々といった表情で、かすかに頷いた

 

 

「よし、決まりだ。じゃあ僕は、店の前のベンチに座って待っているから」

 

 

「はーい」

 

 

紙幣を受け取って、祐巳は祐麒の手を引っ張るようにして歩き出した

二人の姿はあっという間に人ごみの中に消えてしまったけれど

しかしそんな中にあっても祐巳の純白の日傘は埋もれてしまう事もなく、その存在を示してくれていた

それはまるで水面をゆらゆらと漂う白い花びらのようにも見えた

 

 

「さて、と」

 

 

二人の姿を見送って、優は1人ぽつりと呟く

 

 

「ユキチ、覚悟しろよ」

 

 

優は口元を微かに歪めた

今までの微笑をは違ったどこか意地の悪い感じのする笑みだ

まるで何かを企んでいるような、或いは楽しんでいるような顔だった

 

 

「今日こそは素直になってもらうからな」

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

「ありがとうございましたー」

 

 

背後から店員の親しみを込めた声を聞きながら、祐巳と祐麒は店の外に出た

祐麒の両手にはそれぞれソフトクリーム

祐巳は日傘を持っているからか、片手だけにソフトクリームを持っていた

もっとも、祐巳の両手が空いていたとしても、祐麒は2人分のソフトクリームを持っていただろうけれど

 

 

こうして大人が付き添わずに買い物をするというのは、祐麒はもちろん祐巳にとっても滅多に無い体験だった

そういう事もあって2人とも緊張していたが、ちゃんと注文をして、お金を払って、商品を受け取る事ができた

一連のプロセスを達成して、祐巳と祐麒は晴れやかで誇らしげな表情を浮かべていた

 

 

 

ところが

 

 

 

そんな表情と心境も、お店を出て間もなく霧散する事になる

 

 

「………すぐる、おにいさま?」

 

 

「かしわぎ?どこいったんだ?」

 

 

優が、いない

そこに居るはずなのに優の姿がどこにも見えなかった

店の前のベンチで待っていると言ったのに

 

 

辺りをぐるりと見回しても、優の姿の影も形も見えない

そこにはあるのは行き交う人々、喧騒、足音ばかり

突然の出来事に、祐巳と祐麒は呆然とその場に立ち尽くした

 

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