「白薔薇さまだよ!絶対白薔薇さま」

 

「紅薔薇さまに決まっているじゃない。祥子の妹なんだから」

 

「そんなの関係無いわよ。きっと黄薔薇さまよ」

 

薔薇の館で白熱した議論を繰り広げる薔薇さま達

そしてそれを遠巻きに見つめる妹達

もうかれこれ1時間近く議論は続いている

議題は『祐巳は将来何薔薇になるか』

 

 

志摩子の何気ない一言がきっかけだった

紅茶を淹れる手を止めて、ふと思いついたように呟いたのだ

 

「祐巳ちゃんは将来、何色の薔薇さまになるのでしょうね」

 

それを聞いた聖が興味深そうに言う

 

「そんなの、白薔薇さまに決まってんじゃない。やっぱり祐巳ちゃんには清楚な白が似合うよね」

 

蓉子が眉を潜めて聖を睨む

 

「清楚じゃない貴女が言っても全然説得力無いわよ。普通に考えて紅薔薇が妥当ね」

 

江利子が珍しく笑みを浮かべて口を開く

 

「祐巳ちゃんが薔薇さまか・・・黄薔薇さまとか意外性があって面白いと思うんだけど」

 

「ちょっと江利子、面白ければ良いっていう問題じゃないでしょう」

 

「祐巳ちゃんが蓉子みたいな堅物になっちゃったら嫌よね」

 

「・・・何ですって」

 

とまぁ、さっきからずっとこんな感じなのである

最初は比較的穏やかに進んでいたのだが

案の定次第にヒートアップしていき、今ではすっかり仕事を忘れて皆で議論している

 

というかまだ10年後に祐巳が山百合会に入るかどうか判らないのだけれど

しかし皆にとってそれは既に確定事項らしい、誰も疑問には思っていない

山百合会の皆さんはどこまでも幸せだった

 

そんな訳で議論、もとい口論は続いていた

しかしそこは曲者揃いの山百合会

負けを認めたり、潔く自ら身を引いたりするような人物は居ない

誰も自分の主張を譲らないものだから話はずっと平行線のままだ

 

「祐巳ちゃんは祥子の妹なんだから、紅薔薇さまになるのが妥当でしょ」

 

と蓉子が主張すれば

 

「私としては祐巳ちゃんが白薔薇さまになって、乃梨子がその妹になるのが一番望ましいのですが」

 

と志摩子が主張して

 

「あの、お姉さま。祐巳ちゃんも良いんですけど、私としては由乃に黄薔薇さまに・・・」

 

と令がこっそり言えば

 

「却下」

 

と江利子がダメ出しをする

 

それぞれが無理矢理自分の主張を通そうとする

そんなもんだから当然話は収集がつかなくなり

結局、その日の放課後の時間は全部この不毛な議論で終わってしまった

 

 

 

そして翌日の昼休み

足取りも軽やかに今日も聖は幼稚舎へと向かう

もちろん祐巳を抱きしめに行くというのもあるけれど

でも今日はそれよりも大事な目的があった

祐巳にロザリオを渡しに行くのだ

 

祐巳が将来何薔薇さまになるか

現時点でそんな事はわからないし、何より10年後の事は聖にも手出しのしようがない

その時はすでに聖は白薔薇さまでも何でもないのだから

 

しかし、だからと言って指をくわえて見ているだけというのも聖は嫌だった

じゃあどうしようかと考えていた時に、ふと思い当たったのだ

今のうちにロザリオを渡して祐巳を自分の妹、つまり白薔薇のつぼみ(仮)にしてしまえばいいのではないかと

 

現・白薔薇のつぼみの志摩子とはまた別の白薔薇のつぼみ

この白薔薇のつぼみは長い年月の間ひっそりと眠り続け、そして10年後に華麗に咲き誇るのだ

 

ふふふ、とほくそ笑みながら聖は祐巳のもとへ向かう

今から祐巳に白薔薇さまになるつもりにさせておけば蓉子たちも無理に口出しできないはずだ

こういうのは本人の意思が一番大事なのだから

 

「祐巳ちゃん、ごきげんよう」

 

「せいせま!」

 

ててて、とこちらに走ってきた祐巳を抱き上げる

 

「祐巳ちゃん、ちょっと渡したいものが・・・って、あれ?」

 

祐巳の胸元で、何かが光を反射してきらりと光った

聖が目を細めて怪訝そうによく見てみると

 

「・・・ロザリオ?」

 

紛れも無く、それは祐巳の首にかけられていたロザリオだった

 

今まさに聖が渡そうとしていたロザリオが、すでに祐巳の首にかけられている

一体どういうことだろう

誰かが祐巳にロザリオを渡したのだろうか

呆気にとられている聖の前で祐巳は嬉しそうな表情を浮かべる

 

「これ、おねえさまにもらったの」

 

「お姉さま?祐巳ちゃん、祥子にもらったの?」

 

聞かれて祐巳はぶんぶんと首を横に振る

 

「じゃあ、誰に」

 

「ようこさま」

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

「・・・へ?」

 

「けさ、ようこさまがくれたの」

 

「・・・・・・・・・」

 

目を点にして口が開きっぱなしの聖に、祐巳は今朝の出来事を語り始める

 

 

 

 

朝、いつも通り登校してきて祐巳が教室に入ろうとしたときの事だった

横から、突然声をかけられたのだ

 

「祐巳ちゃん」

 

祐巳は振り返って声の主を確認すると、花が咲いたような笑顔を浮かべる

蓉子だった

どうやら祐巳が来るのをずっと待っていたらしい

 

「ようこさま!ごきげんよう」

 

「はい、ごきげんよう」

 

よしよし、と祐巳の頭を撫でる蓉子

祐巳は頬を綻ばせる

蓉子にこうして頭を撫でてもらったり、抱っこされたりするのが、祐巳は好きだった

 

祐巳の蓉子に対するイメージ

それは一言で言うなら「お姉さん」というより「お母さん」だった

優しくて包容力に溢れている蓉子

今は亡き母の姿と蓉子が重なって、どうしても甘えたくなってしまうのだ

 

もちろん母親の清子の事も祐巳は大好きだけど

華族出身でどこか世間とずれている清子

元は庶民出身の祐巳には、蓉子の方が身近な存在に感じられるのである

 

「ようこさま、こんなじかんにどうしたの」

 

「祐巳ちゃんに用事があって来たのよ。祐巳ちゃん、ちょっとついて来てくれる?」

 

「うん」

 

祐巳と手を繋いで、蓉子は高等部の敷地内にある聖堂へと向かう

時間としてはまだ早いせいか学園内は人影もまばらだ

だから蓉子の考えたとおり、聖堂にやって来ている生徒もいなかった

 

朝の聖堂は静かで、静謐な空気が漂っている

ステンドグラスから差し込む光はどこか神々しくて、辺りは厳かな雰囲気に包まれていた

 

蓉子は祐巳をマリア像の前まで連れてくると、手を離して、一つ大きく深呼吸した

そして優しい表情から『紅薔薇さま』のきりっとした表情に切り替えると、屈んで視線の高さを祐巳と合わせた

 

「祐巳ちゃん」

 

「は、はい」

 

いつもと違う蓉子の雰囲気に思わず背筋を伸ばす祐巳

一体何が起こるんだろう

何だか心臓が高鳴ってきた

 

「これ、受け取ってくれるかしら?」

 

そう言って蓉子はポケットからロザリオを取り出す

聖堂に差し込む光を反射してきらきらと輝くロザリオを見て、祐巳も同じく瞳を輝かせた

 

「ようこさま、これ、くれるの?」

 

「ええ、そうよ。祐巳ちゃんが私のロザリオを受け取ったら、私達は姉妹になるのよ」

 

「しまい?」

 

祐巳の頭にハテナマークが飛ぶ

姉妹って

だってもう自分には祥子がいるではないか

 

考えている事がそのまま顔に出ている祐巳を見て、蓉子はふっと表情を和らげる

 

「祐巳ちゃん、私達はね、祥子とはまた違った関係の姉妹になるのよ」

 

「ふ〜ん・・・?」

 

「私が、祐巳ちゃんのもう一人のお姉さまになるの」

 

「ようこさまが、わたしのおねえさま」

 

とは言うものの、やはりまだよく判っていないらしい祐巳

ここでいう姉妹関係とは姉がマンツーマンで妹を指導していく、というような趣旨なんだけど

でもそういう概念を祐巳に理解させるのはまだ難しそうだし

それに「お姉さまがもう1人増える」という説明も全く的外れと言う訳でも無い

だから、とりあえずはこういう説明で良いのだ

 

「そう。祐巳ちゃんがこのロザリオを受け取ってくれれば、の話だけど」

 

「うん、うけとる!」

 

笑顔で即答

祐巳は蓉子と姉妹になる事を受け入れた

何だかよく判らないけど、どうやら蓉子ともっと仲良しになれるらしい

そう言うことで祐巳は納得した

 

「そう、良かったわ。じゃあ祐巳ちゃん、ちょっとじっとしていてね。これは神聖な儀式なんだから」

 

蓉子はそう言って、ゆっくりとロザリオを祐巳の首にかける

祐巳は自分の首にかけられたロザリオを確認すると、満足そうな笑顔を浮かべた

 

「これで祐巳ちゃんは『ロサ・キネンシス・アン・ブウトン』ね」

 

「ろ、ロサ、キネン、シス・・・なに?」

 

「『紅薔薇のつぼみ』、という意味よ」

 

「『べにばらのつぼみ』?」

 

「そう。それで祐巳ちゃん、私達はもう姉妹なんだから、私の事は『お姉さま』って呼んでね」

 

「はい、よう・・・おねえさま」

 

祐巳がそう言うと、蓉子は静かに天井を仰いだ

ふるふると肩を震わせて、しばらくそのままの姿勢を続ける

どうやら泣いているのを我慢しているようだった

祐巳に『お姉さま』と呼ばれるのは蓉子の夢だったのだ

それが今叶ったのだ

 

蓉子は少し溢れ出た涙をそっと拭うと、祐巳の大好きな優しい笑顔を浮かべた

 

「じゃあ、そろそろ時間だから戻りましょうか」

 

「はい、おねえさま」

 

蓉子は立ち上がって祐巳と手を繋ぐと、聖堂を後にする

その2人の後姿を、マリアさまと、七三とメガネだけが見ていた

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

「それで、わたしロザリオもらったの」

 

「・・・・・・・・・そう」

 

やられた、と聖は思った

まさか蓉子も自分と同じ事を考えていたとは

その上、先を越されるなんて

蓉子の思わぬ行動の早さに、聖は苦虫を噛み潰したような顔をする

 

「わたし、『べにばらのつぼみ』なんだって」

 

いいでしょ、と祐巳が嬉しそうに言う

祐巳があまりにも幸せそうなものだから、聖は無性に悔しくなってきた

本当なら祐巳は白薔薇のつぼみ(仮)になって喜んでくれるはずだったのに

 

祐巳は祐巳でどうやら将来は紅薔薇さまになるつもりでいるようだし

恐らくは事の重大さをあまりよく判っていないだろうけど

でも蓉子にそう吹き込まれて、すっかりそれを信じ込んでしまっているに違いなかった

 

本人の意思が一番大事とは聖も重々承知だが、納得行かない

諦めきれずに、聖は祐巳の両肩に手を置いて問い掛ける

 

「祐巳ちゃん、紅薔薇さまより、白薔薇さまになりたくない?」

 

「しろばらさま?」

 

きょとんとした表情を浮かべる祐巳に言い聞かせるように、聖は続ける

 

「うん、そう。赤い薔薇より、白い薔薇の方が女の子らしくて可愛らしいと思わない?」

 

「う〜ん・・・」

 

言われて祐巳は難しい顔をして唸りだす

確かに聖の言う事もわかる気がするから

 

「穢れが無くて、清楚で、可憐で、おしとやかな、そういうイメージがする白薔薇の方が、祐巳ちゃんに似合うと思うな」

 

穢れが無くて、清楚で、可憐で、おしとやか

ずらずらとそう並べられて祐巳が思い浮かべたのは、白薔薇のつぼみこと志摩子の姿だった

白薔薇のイメージは祐巳の中の志摩子に対するイメージと見事な程ピッタリ重なっている

本当は志摩子は白どころか真っ黒なんだけど

でも心密かに志摩子に憧れている祐巳としては、白薔薇の名前はとても魅力的に聞こえるのであった

 

「せいさま、わたしもしまこさまみたいになれるかな」

 

「祐巳ちゃん、私みたいにはなりたくないの?」

 

「しまこさまみたいになりたい」

 

「そ、そう・・・」

 

はっきり言われてちょっとガックリきた聖ではあったが

だが祐巳の心は確実に白薔薇さまに傾いてきている

あともう一押し、と聖が畳みかけようとしたところで、ふと祐巳が聖の背後に視線を向けた

 

「えりこさま」

 

「え!?」

 

聖が驚いて振り返ると、祐巳の言うとおり、江利子がすぐ真後ろに立っていた

 

「聖、何してるのよ」

 

「え、江利子こそどうして・・・・・・って」

 

聖の視線が江利子の右手に釘付けになる

江利子の右手には、ロザリオが握られていた

もしかして、と聖の額から冷や汗が一本伝って落ちていく

 

「江利子、そのロザリオ・・・」

 

「ああ、これ?」

 

江利子はロザリオを持ち上げると、意味深に笑ってみせる

 

「祐巳ちゃんにあげようと思って」

 

「・・・江利子も同じ事考えてたのね」

 

「ちょっと聖、江利子“も”ってどういう意味よ」

 

途端に江利子の瞳が輝きだした

どうやら江利子の嗅覚が何かを感じ取ったらしい

スッポンとも呼ばれる江利子、面白い事には食らい付いて離さない

こうなったらもう適当にごまかすのは無理だった

 

「実はね・・・」

 

仕方なく、聖は江利子に事情を説明する

あともう少しで祐巳を白薔薇のつぼみ(仮)にできたのに

思わぬ人物の登場によって、聖は目前で獲物を逃してしまったのだった

 

これまでの経緯を聞いた江利子は、案の定興味深そうな表情を浮かべた

 

「なーんだ、皆同じ事考えてたのね」

 

「そう言うこと。蓉子に先越されちゃったけど」

 

「で、聖は蓉子のロザリオと自分のロザリオを換えさせようとしたわけ?」

 

「そうだけど、邪魔者が来ちゃったから出来なかったの」

 

「あら、それは残念でした」

 

邪魔者が愉快そうに笑う

 

「あ〜あ、せっかくロザリオ用意したのに」

 

ぶつぶつ文句を言いながら聖は明後日の方向を向く

あともう一歩で祐巳を妹に出来たのに

こんな事ならもっと早く行動を起こしておけば良かった

 

はぁ、と大きくため息を吐いてから再び祐巳の方へと向き直ると

 

「祐巳ちゃん、私のロザリオ、受け取って下さるかしら?」

 

江利子が祐巳にロザリオを渡そうとしていた

 

「ちょ、ちょっと江利子、何してるの」

 

「何って、ロザリオ渡そうとしているんじゃない」

 

「そんなの見りゃ判るわよ。でも祐巳ちゃんにはもう蓉子が」

 

「あら、だって正式なスール制度は高等部からでしょう。今ならそんなルール、関係無いわよ」

 

「だからって・・・」

 

果たしてそんな屁理屈が蓉子に通用するかどうか

きっと烈火のごとく怒るに違いない

下手したらまた木に吊るされるかもしれない

先日体験した恐怖が蘇ってきて、聖はその場でブルブルと震え出した

『ロリ・ギガンティア』はもう勘弁して欲しい

 

「それに」

 

「・・・え?」

 

「私、祐巳ちゃんから『お姉さま』って呼ばれたいし」

 

「・・・・・・・・・」

 

お姉さま

祐巳に『お姉さま』

 

「祐巳ちゃんから『お姉さま』か・・・」

 

う〜ん、と聖は悩む

確かに呼ばれたい

 

「さぁ、どうする?私はロザリオ渡すけど」

 

江利子の言葉が悪魔のささやきに聞こえる

渡したら後が恐い

でも祐巳に『お姉さま』と呼ばれたい

どうしよう

 

 

悩んで悩んで悩みぬいた末に、聖が出した結論は

 

 

「祐巳ちゃん、私のロザリオも受け取ってくれるかな?」

 

 

「うん」

 

 

結局、祐巳の首には3つのロザリオがかけられる事になった

元々ロザリオの意味をよく判っていない祐巳

2つも3つも持つ事に、何の疑問も感じていなかった

 

 

こうして祐巳の『お姉さま』は4人に増えたのだった

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