「清子、ネクタイ曲がってないかな」

 

「どこも変なところはありませんよ。先ほどから何度も申し上げているのに」

 

「祐巳ちゃんの父親として、無様な姿を晒すわけには行かないだろう」

 

さっきから何度もそんなやり取りを繰り返す融と清子

傍から見るともう親バカ以外の何者でもなかった

普段見れない娘の学園生活を見れるわけだから、無理もない話である

 

浮かれている2人の後を苦々しい表情で祥子が歩く

もう一目で不機嫌だとわかるほど、祥子は不貞腐れていた

 

本当は祥子だって嬉しい

祐巳の授業風景というのは祥子にとって未知の領域なのだ

少しでも多く祐巳のことを知りたいと願う祥子にとって、その一端を見ることが出来るとなれば嬉しくないわけが無い

 

しかし

 

「いや〜、楽しみだなぁ」

 

「今日はどんな騒動が起こるのかしらね」

 

「江利子、大人しくしてなさいよ」

 

ぞろぞろと祥子の後ろを歩く山百合会の面々

上から順に聖、江利子、蓉子の言葉である

祥子の不機嫌の原因は、これだった

 

授業参観の告知のプリントを受け取ってから、祥子は全身全霊でこの秘密を守り通そうとした

小笠原グループの力を使ってまでの徹底振りではあったが

しかしそんな祥子の努力をあざ笑うかのように、情報は網の目を潜り抜けて蓉子たちの元へと届いたのだった

 

祐巳がうっかり蓉子に口を滑らしてしまったり

江利子が令を問いただして白状させたり

さらにはスクープを常に求める三奈子から聖へと情報のリークがあったり

 

そんな感じに、思わぬところから情報は洩れていった

こうなるともう祥子にはどうする事もできず

結局こうして渋々ながら、一緒に授業参観に行く事になったのだ

 

噂によれば今日は三奈子も来るとか

彼女は真美の姉だから別に来ても不思議では無いのだけど

でも目的は妹の授業風景を見に来る事では無いというのは、火を見るより明らかだった

 

 

祥子は真っ青な空を見上げて溜め息を漏らす

どうか何事も無く、無事に終わりますように

祥子はひっそりと心の中でマリアさまに祈ったのだった

 

 

 

 

祥子が見上げた同じ空の下

校舎の裏手で、祐巳は一足先に来ていた志摩子とのんびりお話をしていた

 

「今日は私は乃梨子の年少組の方に行かなければいけないから、祐巳ちゃんは見れないわね」

 

「・・・そうなの?」

 

「だから祐巳ちゃん、これを」

 

志摩子は鞄から封筒を取り出すと、祐巳に手渡す

 

「しまこおねえさま、これって?」

 

「ふふ、お守りみたいなものよ」

 

「ふ〜ん・・・ね、あけていい?」

 

「まだ開けては駄目よ。困った時になったら開けて。きっと祐巳ちゃんを助けてくれるわ」

 

「こまったとき・・・?うん」

 

そう言って祐巳は制服のポケットの中に封筒をねじ込む

中身がまだ見れないのはちょっと残念だけど

でも志摩子と2人だけの秘密みたいで、何だか祐巳は嬉しかった

 

「じゃあ、そろそろ私は行くわね。祐巳ちゃん、頑張って」

 

「うん。ありがとう、しまこおねえさま」

 

祐巳は手を振って志摩子を見送ると、自分も教室へと戻った

今日は融や清子、祥子の他に山百合会の皆も来るという

ちょっと緊張するけど、それよりも皆に見てもらえると思うと、祐巳の心は躍った

 

 

 

 

そして始まった授業参観

やっぱり皆、親が見に来てくれて嬉しいらしい

先生が話している途中で後ろを振り返っては、親に注意されている子も少なくなかった

 

よく見れば父親、母親の他に兄弟と思われる人が結構来ている

三奈子とかがそこに分類されるわけだけど

でも祐巳みたいに他人である薔薇さま方が揃って来るようなところは、さすがに無かった

 

「はい、それでは今日は文字遊びをします」

 

保育士がにこやかに説明する

どうやら平仮名を1文字選んで、それから始まる言葉を考えるという遊びらしい

例えば『り』だったらそれから始まる言葉、『りんご』といった具合だ

そしてその作った言葉の意味を、自分で考えて皆に説明するという内容だった

 

一文字を選んで、言葉を考える作業に入る

中には親に助けてもらったりしている子もいたけど

でも祐巳はそんな事は無く、1人でちゃんと考えているようだった

祥子はそんな祐巳を心密かに誇りに思う

 

しばらくして、どうやら全員書き終わったらしい

先生はそれを確認すると、発表の時間へと移った

 

「それじゃ、真美ちゃんから行こうか」

 

「はい」

 

呼ばれて真美は前に進み出る

真美の姉である三奈子は後ろで少し心配そうな顔をしていた

普段何かと愚痴をこぼしてはいるけど、やはり彼女も姉だという事だ

 

真美が選んだ文字は『ほ』

真美は皆の前に立つと、大きく言葉を書いた画用紙を皆に見せた

画用紙に書いてあった文字は

 

 

『ぼうそう』

 

 

「・・・暴走?」

 

「はい。わたしのおねえさまは、よくぼうそうしています」

 

そう言って真美は唖然としている三奈子へと視線を向ける

そしてちょっと困ったように、溜め息混じりに続けた

 

「おさえるのもたいへんです」

 

辺りにどっと笑いが広がる

普段から三奈子の暴走の被害を被る事が多い山百合会

真美の説明に、祥子たちはつい吹き出してしまった

 

「やっぱり可愛くない子だわ・・・」

 

心配して損をした、と

険しい表情で三奈子はそう呟いたのだった

 

 

「じゃ、次は蔦子ちゃん」

 

呼ばれて蔦子が立ち上がる

首からは相変わらずトレードマークのカメラをぶら下げている

どんなに注意されても、蔦子はそう簡単にはカメラを手放そうとはしないのだ

最近は既に先生の方も諦め気味だった

 

「わたしがえらんだもじは、『と』です」

 

言いながら画用紙を皆に見せる

画用紙に書かれていた言葉は

 

 

『とうさつ』

 

 

「わたしはこれがとくいです」

 

「・・・・・・・・・」

 

今度は一転して、辺りがしんと静まり返る

盗撮とは決して褒められた行為ではない

それを自慢げに言う蔦子の将来を、この場にいる全員が心配せずにいられなかった

 

 

「つ、蔦子ちゃん、ほどほどにしておいてね。次、由乃ちゃん」

 

「はい」

 

由乃は皆の前に立つと、にっこりと微笑む

元々つい守ってあげたくなってしまうような顔立ちをしている由乃

後ろの保護者たちの一団から一斉に溜め息が洩れた

 

「わたしがえらんだもじは、『い』です」

 

由乃はそう言いながら画用紙を見せる

そこに書かれていた言葉は

 

 

『いっとうりょうだん』

 

 

「じゃまするひとは、まっぷたつです」

 

「・・・・・・・・・」

 

無邪気に微笑んだまま物騒な事を言う由乃

その可愛らしい見た目と書かれた言葉のギャップに、皆明らかに引いていた

そんな微妙な雰囲気の中、令はぽつりと呟く

 

「由乃、もう少し女の子らしい言葉は無かったの・・・」

 

がっくり肩を落とす令に、祥子はフォローの言葉が見つからなかった

 

 

「よ、由乃ちゃんは頼もしいわね。じゃあ、次は・・・祐巳ちゃん」

 

いよいよ祐巳の出番である

全身に緊張が走って、祥子は姿勢を正した

失敗しないで上手くできますように、と心の中で祈らずにいられない

祥子がそんな心配をしている間に祐巳は皆の前に進み出る

 

「えーっと、わたしがえらんだもじは、『よ』です」

 

祐巳は少し緊張気味に、画用紙を皆に見せる

画用紙にでかでかと書かれていた言葉は

 

 

『よるのせいかつ』

 

 

・・・・・・・・・

 

 

「ゆ、祐巳ちゃん?それって」

 

思わぬ角度からの攻撃に、保育士の先生が顔を引きつらせながら尋ねる

 

「おねえさまが10ねんごに、てとりあしとりおしえてくれるっていってました」

 

さらりと爆弾発言を言い放つ祐巳

一斉に皆が祥子に冷たい視線を投げかける

祥子の隣にいる融と清子は、その場で固まってしまっていた

 

「・・・祥子?貴女、祐巳ちゃんに一体何を教えているの」

 

呆れ気味に訊ねる蓉子

祥子は必死に弁解する

 

「あ、あれは私じゃなくて元々は由乃ちゃんが」

 

「さちこさま、ひどい。わたしのせいにするんですか」

 

「え、ちょっと、由乃ちゃん?」

 

「ちょっと祥子、由乃のせいにするのは横暴なんじゃない」

 

「だから私じゃないって言ってるじゃない、令」

 

「見損なったわ、祥子さん」

 

「お、お母さままで」

 

「姉として恥ずかしいわ、祥子」

 

「お姉さま、だから誤解です」

 

「まぁ、祥子も人間だってことよね」

 

「一体私を何だと思っていたんですか、黄薔薇さま」

 

「姉のくせに妹をそんな目で見てたんだね。いやらしい」

 

「貴女に言われたくありません、白薔薇さま」

 

「祥子、祐巳ちゃんの気持ちを考えた事はあるのか」

 

「その言葉はそっくりお返ししますわ、お父さま」

 

「これが紅薔薇のつぼみの性教育・・・と」

 

「三奈子さん、学校新聞でそんな生々しい記事書こうとしないで頂戴」

 

思わず祥子は頭を抱えた

確かに元を辿れば祥子の言う通り、由乃にたどり着くのだけど

しかし皆、由乃の狡猾な演技にすっかり騙されている

こうなるともう祥子はどんなに弁解しても悪者でしか無かった

 

(くっ・・・由乃ちゃん、やっぱり油断できない子だわ・・・)

 

祥子はきりきりとハンカチを絞って由乃を見据える

由乃は口の端を上げてにやりと笑っていた

 

 

 

 

「そ、それでは気を取り直して、次に行きたいと思います」

 

思わぬハプニングに授業も一時中断したが、ようやく次に進む事になった

今度は似顔絵を描くようだ

日ごろお世話になっている人に、感謝の意味を込めて似顔絵を贈る

どうやらそういう趣旨の下で行われるらしい

 

園児たちは一斉に作業を始めたが、けど祐巳だけは1人困ったような表情を浮かべていた

普通なら融と清子の似顔絵を描いてあげれば良いのだけれど

しかし今日おまけでついてきた薔薇さま方の存在がネックになっているらしい

誰を描けば良いのか、迷っているようだった

 

「祐巳ちゃん、仕方ないな。じゃあ私がモデルになってあげる〜」

 

そう言って聖が祐巳の側に行こうとしたら

 

「寝言言ってるんじゃないわよ、聖。ここは私が」

 

蓉子が聖を横にどけて

 

「やっぱり日ごろから色んな事を教えてあげている私が適任よね」

 

さらには日ごろから祐巳に余計な事ばかり教えている江利子が前に出て

 

「普通に考えて、ここはお父さんとお母さんだろう」

 

融と清子がそれに参戦した

 

ああだこうだと騒々しく言い合っている祥子たちを、周囲の人々は好奇の目で見つめる

人々は可笑しそうに笑い、蔦子がここぞとばかりにシャッターを切って、三奈子と真美は事細かに手帳にメモしている

しかしそれに気が付かないほどに祥子たちはヒートアップしていた

肝心の祐巳はと言うと、余計にどうすれば良いのかわからなくなって、さらに困っているようだった

 

「どうしよう・・・・・・あ、そうだ!」

 

祐巳は志摩子の言葉を思い出しながら、ポケットの中をごそごそと探る

 

『困った時になったら開けて。きっと祐巳ちゃんを助けてくれるわ』

 

授業が始まる前に志摩子がくれたあの封筒だ

今まさに困った状況に陥っている祐巳にとっては、志摩子がくれた封筒は暗闇の中に差し込んだ光に等しかった

 

「なにがはいってるのかな・・・・・・あ」

 

封筒の中に入っていたものを見ると、祐巳は顔を輝かせた

そしてまだ騒いでいる祥子たちには目もくれず、勢い良く画用紙の上にクレヨンを滑らせ始める

 

そして

 

 

「できたぁ!」

 

 

祐巳がそう声を上げるのと同時に、祥子たちの言い争いもぴたりと止んだ

 

「ゆ、祐巳?」

 

「祐巳ちゃん、できたって・・・」

 

祥子たちの訝しげな視線を受けながら、祐巳は達成感を滲ませた表情で画用紙を皆に見せた

そこに描かれていたのは

 

「・・・志摩子?」

 

祐巳のもう1人の「お姉さま」、藤堂志摩子だった

 

「ど、どうして志摩子が」

 

志摩子は今頃年少組に居るはずだ

それなのにどうして祐巳は志摩子を描いたんだろう

思わぬ展開に祥子が思考を巡らせていると、ふと机の上に視線が止まる

 

祐巳の机の上に置かれている、一枚の写真

志摩子の写真だった

 

ああ、そういう事か、と祥子は歯軋りした

恐らく志摩子は事前に祐巳から今日の授業内容を聞いていたのだ

そして祥子たちが見に来て、さらにこうした事態が起こるのを想定して、この写真を渡したに違いなかった

完全に志摩子の作戦勝ちである

 

「・・・また志摩子にやられた」

 

震える声でぼそりと呟く

ふわりと微笑む志摩子の姿が脳裏に浮かんで、祥子は盛大に溜め息を吐いたのだった

 

 

 

 

授業参観が終わった後

志摩子は(思惑通り)祐巳から似顔絵を受け取った

 

「しまこおねえさま、どうしてわたしがこまるってわかったの?」

 

不思議そうに訊ねる祐巳

自分のピンチを予測していた志摩子が、祐巳には何だか魔法使いのように感じられた

聞かれて志摩子は、祐巳の頭を撫でながら優しく言う

 

「あら、だって私は祐巳ちゃんのお姉さまだもの。妹の事なら、何でもお見通しよ」

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