「つ、着いた・・・」

 

放課後

私はボロボロになった体を引きずりながら、祐巳の居る教室の前までたどり着く

ただ祐巳を迎えに行くだけなのに、どうしてこんな有り様になっているのか

 

祐巳の教室にたどり着くまでには多くの困難を乗り越えなくてはならない

何故かって、それは乃梨子ちゃんが至るところににトラップを仕掛けているからだ

最初の頃は落とし穴とかそんな可愛いものだったけど

でも最近は地面から竹槍が突き出してきたりするものだから、悠長な事も言っていられなくなってきた

祐巳を迎えに行くのも命がけなのである

 

「祐巳、迎えに来たわよ」

 

すでに満身創痍、指一本動かすのも辛い

けど祐巳の手前、そんな情けない姿をさらすわけには行かないのだ

 

「あら祥子さま、ごきげんよう」

 

教室に入ると、例によって志摩子が居た

何だか最近毎日のようにここで顔を合わせている気がする

 

「ここまで来たと言う事は、乃梨子が仕掛けた罠を全て乗り越えてきたと言う事ですね。さすがですわ」

 

「・・・ちょっと志摩子。最近どんどん乃梨子ちゃんのトラップがエスカレートしてきているのだけど」

 

こめかみに手を当てつつ溜め息交じりに言うと、志摩子はふんわり微笑む

 

「あら、だって私が入れ知恵してますから」

 

「・・・え?」

 

「乃梨子、竹槍は駄目だったから、今度は地雷にしましょうか」

 

「はい、おねえさま」

 

「・・・・・・・・・」

 

目の前で物騒な会話を繰り広げる藤堂姉妹

傍から見れば微笑ましい姉妹の図なんだけど、その実情はこんなものだ

一体どれくらいの人が志摩子の笑顔に騙されているのだろう

とりあえず明日から地雷探知機を持って来ようと思う

 

「おねえさま」

 

視線を下に向けると、祐巳が私を見て微笑んでいた

つられて私も微笑む

この笑顔を見れば今までの苦労なんて吹き飛んでしまうのだ

だから私は毎日祐巳を迎えに行く事ができるのである

 

「祐巳、待たせたわね。さ、帰りましょうか」

 

「うん。じゃあみんな、ごきげんよう」

 

ばいばい、と祐巳は手を振る

皆はちょっと悔しそうな顔で私たちを見送った

この時ばかりはさすがに優越感に浸らずにはいられない

羨望の眼差しを背に受けながら、私と祐巳は幼稚舎を後にする

 

 

 

 

「・・・・・・痛」

 

祐巳と繋いだ手に軽く痛みが走る

ふと目をやると、どうやらさっきのトラップで傷ついてしまったらしい

指先に赤い筋が一本、出来上がっていた

 

「おねえさま、けがしたの?だいじょうぶ?」

 

祐巳が心配そうに私の顔を覗き込んでくる

そんな祐巳を安心させようと、私は笑顔を取り繕った

私からすれば祐巳の心配する顔を見る方が辛いのだ

 

「これくらい大丈夫よ。どうって事ないわ」

 

私がそう言うと、祐巳は何かを思い出したような表情を浮かべた

 

「おねえさま、わたし、きずのてあてのしかたおしえてもらったんだよ」

 

「・・・え?誰に」

 

「えりこさま」

 

 

・・・・・・・・・

 

 

黄薔薇さま

何だか嫌な予感がしてきた

 

 

「ど、どうやって手当てをするのかしら?」

 

「きずぐちに、らーゆをつけるんだって」

 

「・・・ラー油?」

 

「どくをもってどくをせいす、ってえりこさまがいってた」

 

「・・・・・・・・・」

 

またラー油である

紅茶にラー油、傷口にラー油

何でもラー油をつければ良いとでも思っているのだろうか

一体黄薔薇さまはどこまでラー油で引っ張るつもりなんだろう

 

「祐巳、気持ちは嬉しいけど、今回は遠慮しておくわ」

 

「どうして」

 

「これくらいの軽い傷だったら、無闇に手当てをしない方が良いのよ」

 

「ふーん」

 

「祐巳、今度黄薔薇さまに今までのお礼も兼ねて、紅茶でも淹れて差し上げて。きっと喜ぶわ」

 

「うん!」

 

そんなささやかな復讐をして、私たちは車に乗り込む

 

 

 

 

「祐巳、今日はお友達とどんな事をして遊んだの?」

 

隣に座っている祐巳にそう訊ねる

これはもう日課のようなもので、私はいつもこの時間を楽しみにしている

無邪気に一日の出来事を話す祐巳は微笑ましくて、見ているこっちまで幸せになってくるからだ

 

「きょうはね、おままごとをしたの」

 

「あら、そうなの。誰と?」

 

「よしのさんがだんなさんで、わたしがおくさん」

 

誰と遊んだの、と言うのは愚問だった

いつも祐巳の周りにはあの4人しか居ないのだから

正確にはあの4人がいるせいで誰も近寄れないのだけど

 

「それで、とうこちゃんと、かなこちゃんと、のりこちゃんがこども」

 

「ふふ、そう。それで、どういう事をしたのかしら」

 

「よしのさんといっしょにねた」

 

「・・・・・・・・・え?」

 

「ふうふにはよるのせいかつがあるのよ、ってよしのさんがいってたから」

 

「・・・・・・・・・」

 

思わず頭を抱えた

由乃ちゃんは園児のくせにどうしてそんな事を知ってるのだろう

色んな意味で将来が恐ろしい子だ

 

祐巳に変なことを吹き込まないで欲しいのだけど

でも今現在私が心配なのはそれではなくて

 

 

「ね、おねえさま。よるのせいかつってなに?」

 

 

やっぱり聞いてきた

「子供ってどうやってできるの?」と子供に聞かれた親の気持ちが判る気がする

この場合「コウノトリさんが運んできてくれるのよ」は使えない

どうしよう

 

「祐巳はまだ知らなくてもいいのよ」

 

「どうして」

 

苦し紛れに言う私

やっぱり祐巳は、どこか納得の行かないような表情を浮かべた

私は祐巳の両肩に手を置いて、諭すように言う

 

「あと10年すれば私が思う存分祐巳と夜の生活を送ってあげるから、我慢なさい」

 

「う〜ん・・・わかった」

 

とりあえず祐巳は納得してくれたらしい

変に追及されなくて良かった、と私は胸を撫で下ろす

祐巳の歳でそんな事はまだ覚えて欲しくない

10年後には私が手取り足取り教えてあげるのだから、今はまだ知る必要なんてないのだ

 

「あ、そうだ」

 

祐巳は何かを思い出したように、鞄の中をがさがさと探る

そして中から一枚の紙を取り出して、私に見せた

それは

 

「・・・授業参観?」

 

「うん」

 

授業参観の告知のプリントだった

 

 

お父さまとお母さまがこれを見て喜ぶ姿が目に浮かぶ

何と言っても最愛の娘の晴れ舞台

お父さまなんて下手したら会社の仕事をほっぽりだして見に来るかもしれない

私だって今から楽しみだ

 

 

ただ気になる事が一つある

山百合会の面々の事だ

令と志摩子は授業参観のことを知っているだろうけど

でも薔薇さま達はどうだろうか

あの人たちなら家族でなくても平気な顔して来るだろう

下手したら生徒会の仕事をほっぽりだして見に来るかもしれない

日曜参観だから、その可能性は大だ

 

薔薇さま方が来ると、何かと面倒な事になりかねない

特に黄薔薇さまは要注意だ

何でもラー油で解決しようとする精神を祐巳に吹き込む程の危険人物である

せっかくの祐巳の晴れ舞台

何事も無く、平穏にやらせたい

 

 

祐巳の為、そして私たちの幸せの為

小笠原グループの力を結集してでもこの情報は死守しなければならない

 

 

私は心の中で密かにマリア様にそう誓ったのだった

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