最近、乃梨子の様子がおかしい

 

「乃梨子?」

 

乃梨子は部屋の片隅で、じっと正座しながら仏像を見ている

市松人形のような顔立ちに着物の組み合わせは、恐ろしいほどよく似合っていた

まるで座敷童のようで、姉の贔屓目を抜きにしても可愛いと思う

 

さて、この乃梨子が仏像を見ているという光景は、別に珍しくはない

乃梨子は仏像鑑賞という一風変わった趣味を持っている

暇さえあれば、乃梨子はこうして仏像を一心に見つめていた

けれど


「乃梨子」


「・・・・・・・・・」


私が呼んでも全く反応しない

視線は仏像に向けているけれど、見ているのは仏像では無いような

そんな雰囲気だった


「乃梨子、風邪を引くわよ」


「え?あぁ、おねえさま。いつからそこに」


乃梨子はようやく私の存在に気付く

しかし乃梨子は、すぐにまた意識を仏像の向こう側へと向けてしまった

 

最近の乃梨子は、ずっとこんな感じだ

もともと感情が表に出るタイプではなかったけど

でも姉の私には、そんな僅かな変化も手に取るようにわかる

 

乃梨子に何かあったのだろうか

芯が強い子だから、ちょっとやそっとでは自分を見失わないはずだ

だから乃梨子の只ならぬ様子に、私は不安を覚えた

もしかして、幼稚園で何かあったのだろうか

まさかとは思うが、苛めとか

乃梨子は今年の春からリリアンに通っているけど

でも乃梨子は、カトリックのリリアンには馴染めないのかもしれない

 

「乃梨子、何か悩み事でもあるの?」


「えっ!?う、ううん。そんなこと、ないよ」


「乃梨子、正直に言って。辛い事があったのなら、私も力になるから」


「いや、だいじょうぶだから。ありがとう、おねえさま」


そういって乃梨子は仏像を箱に収めると、そそくさと部屋を出て行ってしまった

取り残された私は、不安に襲われる

あの様子からすれば、何かあったのは間違いない

それこそ、私には相談できないほどの何かが


「乃梨子、大丈夫かしら・・・」


一抹の不安を抱えて、私は布団に潜り込んだ

 

 

 

そんな日々が続いたある日の事だ


「志摩子?ちょっと、良いかしら」


母が神妙な面持ちで、私の部屋を訪ねてきた


「乃梨子の事なんだけど」


乃梨子の名前が出てきて、私は体が強張っていくのを感じる

一体、何だろう

乃梨子の様子がおかしい理由を、母は知っているのだろうか


「乃梨子に何かあったんですか」


「ええ、ちょっとね」


そう言うと母は1つ溜め息を吐く


「あの子、近頃様子がおかしいのよ」


「お母さまも、やっぱりそう感じていましたか」


「乃梨子の母親だもの、当然じゃない。で、それでね」


「はい」


「乃梨子、最近時間通りに帰ってこないのよ」


「・・・は?」


「乗ってくるはずのバスに、乗って来ないの」


「ど、どうして」


「それがわからなくて困ってるのよ。そんな事する子じゃ無いと思ってたんだけど・・・」


結局、母も乃梨子の様子がおかしい理由はわからないらしい

それにしても母から教えられた事実はいささかショックではあった

乃梨子は、親を心配させるような子では無いと思っていたから

ちゃんと乃梨子の話を聞いて、その上で時間通りに帰ってくるよう説得しなければいけない

それが姉である私の努めなのだ

 

 

 

「乃梨子、どうして時間通りに帰ってこないの」


咎めるような口調ではなく、優しく私は理由を尋ねた

園児とは言え聡明な乃梨子の事だ

もしかしたら何か理由があるのかもしれない


「・・・だって」


下を向いてばつが悪そうに口ごもる乃梨子

本人も自分がいけない事をしているとは、やっぱりわかっているらしい


「乃梨子?」


「だって、とうことかなこさんが・・・」


とうことかなこさん?

・・・瞳子と可南子さん

ああ、あの2人か

その2人なら、私も何回か見た事がある

 

瞳子ちゃんは、祥子さまの遠い親戚に当たる子らしい

本でしか見た事のないような髪形をしているので、最初見たときにかなり驚いたのを覚えている

なかなか事情通のようで、私を見た瞬間にこう挨拶をしてきた


『ごきげんよう、白薔薇のつぼみ』


まだ白薔薇さまからロザリオを頂いて間もないと言うのに

どうやらこの子は、相当広いアンテナを持っているようだった

 

そしてもう1人、可南子ちゃん

園児にしては身長が高く、他の子と比べても頭1つ抜きん出ている

それに加えて近寄りがたい雰囲気を放っているので、とても印象深い子だった

しかし目立つ子であるというのに、時々気配を消して自分の側に来ていたりするから心臓に悪い

どうやらこの子は、悟られずに人を付けまわす才能に恵まれているらしい

凄い能力だが、一歩間違えれば犯罪になりかねない危険な才能だ

色んな意味で将来が気になる子である

 

そんな一風変わった子たちと友達になった乃梨子

うちの乃梨子も変わっているから、類は友を呼ぶという事なのだろうか

 

「瞳子ちゃんと可南子ちゃんが、どうかしたの?」


「とうことかなこさんが、ゆ・・・」


そこまで言って、乃梨子ははっと口をつぐんだ

何だか言ってはいけない事を言いそうになってしまったという表情で

続きが気になって、私は乃梨子に尋ねる


「『ゆ』?」


「ご、ごめんなさい、おねえさま」


乃梨子は、逃げた

取り残された私は、ただ呆然とするしかない

姉である私にも理由を教えてくれないなんて

もしかしたら、予想以上に深刻な問題なのかもしれなかった

 

 

 

翌日の放課後

私は学校から、自分の家に電話をかけた

乃梨子が今日はちゃんと帰ってきているか確かめるためだ

しかし


『乃梨子、今日もまだ帰ってきてないのよ』


受話器越しに、母の溜め息が聞こえる

つられて、私も思わず溜め息を漏らしてしまった


「・・・わかりました。今から、乃梨子に会いに行ってきますので」


『乃梨子によく言っておいてね。じゃあ、お願い』


受話器を置くと、私は再び溜め息を漏らす

悪い事とわかっているのに、それでも帰らない乃梨子

一体、何が乃梨子にそうさせているのだろう

心配である

 

 

 

「ごきげんよう。私、藤堂乃梨子の姉の藤堂志摩子という者ですが」


私は乃梨子のクラスへと足を向けた

乃梨子はそこに、いるはずだったからだ


「あら、乃梨子ちゃんのお姉さま?」


「いつも妹がお世話になっています。それで、乃梨子は・・・」


私は教室をぐるりと見回す

しかしそこにいるはずの乃梨子は、居なかった

そんな私をよそに、目の前の保育士は困った表情で溜め息を吐く


「それがねぇ・・・」


「乃梨子に、何かあったんですか」


どうやら私は自分の思っている以上に切羽詰った表情をしていたらしい

目の前の保育士は、驚いた表情をしていた


「最近、乃梨子の様子がおかしいんです。教えてください。

乃梨子に、何かあったんですか。まさか、苛められてるとか」


一気にまくし立てる私に、保育士は呆気に取られる

しかし落ち着いてくると、私をなだめるように優しく表情を和らげた


「そんな事ありませんよ。最近の乃梨子ちゃんは、とても楽しそうですもの」


「え、それはどういう」


「年長組の教室に行ってみると良いでしょう。そこに行けば、わかると思うわ」

 

 

 

という訳で私は今、年長組の教室へと向かっている

保育士から言われた言葉の意味が今でもよくわからない

一体どうして年少組の乃梨子が、年長組なんだろうか


「・・・何だかよくわからないわね」


皆目見当がつかず、今日何度目かの溜め息を漏らす

 

と、その時

 

 

 

どさささささっ

 

 

 

突然、別の方向から何かが勢い良く落ちる音が聞こえた

私は驚いて辺りを見回す

どうやら、校舎の裏手から聞こえたらしい

 

私はどうしてもそれが気になって、つい音の方向へと足を向けてしまった

訝しげに校舎の裏手を覗いてみると


「・・・穴?」


目の前の地面には、ぽっかりと大きな穴が空いていた


「どうしてこんな所に穴が・・・」


そう呟きつつ、恐る恐る穴を覗く

穴の中に居たのは

 

「・・・祥子さま?」

 

紅薔薇のつぼみ、小笠原祥子さまだった

どうやらさっきの音は、祥子さまが穴に落ちた音だったらしい

 

祥子さまは、ただ落ちたときの姿勢のまま、じっと無表情のまま上を見上げていた

私はそんな祥子さまに声をかける


「祥子さま、楽しそうですわね」


「・・・志摩子?これのどこが、楽しそうに見えるのかしら」


「少なくとも、見ている私は楽しいです」


「・・・・・・・・・」


「それで、祥子さまはどうしてそんな所に」


「・・・あなたの妹に、やられたのよ」


「え?」


私は耳を疑った


『あなたの妹に、やられたのよ』


私の妹、それはつまり乃梨子の事だ

乃梨子が祥子さまを落とし穴に落としたらしい


「乃梨子が?」


「ええ、そうよ。油断したわ。この私が、まさか園児に罠にはめられるなんて・・・!」


次第に祥子さまの言葉に熱が帯びてきた

これは大噴火の前兆だ

爆発する前に、ここを立ち去った方が良さそうである

と、その前に


「ところで祥子さまは、幼稚舎に何か御用でも」


「別に・・・大した用じゃないわ」


祥子さまにしては珍しく、はっきりしない答えだ

何だか言いたくない、といった表情だったので、無理して聞き出すのも何だか悪いように思える


「そうですか、わかりました。ではごきげんよう、祥子さま」


「ちょ、ちょっと志摩子。助けなさい」


後ろから祥子さまが何か喚いているのが聞こえたが、あえて聞こえないフリをしておいた

 

 

 

少し遠回りになってしまったが、ようやく私は年長組の教室の前へとたどり着く

廊下から中を覗くと、あの保育士が言っていた通り、教室の中に乃梨子が居た

他にも瞳子ちゃん、可南子ちゃん、そして黄薔薇のつぼみの従姉妹、由乃ちゃんの姿が確認できた

この4人の中心にもう1人いるみたいだが、彼女達に遮られて見えなかった

 

それにしても、乃梨子の楽しそうなこと

感情がストレートに出ない乃梨子にしては、珍しい表情だ

家でもそう滅多に見れるものではない

 

その表情を見る限り、どうやら苛められているとか、そういう事は無いらしい

私はほっと胸を撫で下ろす

しかし、時間通りに帰らずに家族を心配させている事だけは、注意しなければならない

あと一応、祥子さまを落とし穴に落とした事も

 

「乃梨子」


教室に入り、乃梨子が私の姿を確認すると、乃梨子はびくりと表情を強張らせた

まさか私がここに来るとは思っていなかったのだろう


「お、おねえさま?どうしてここに」


「今日も時間通りに帰っていないって聞いたから。駄目よ乃梨子、家族を心配させては」


「う、うん・・・」


「あと乃梨子、あなた祥子さまを落とし穴に落としたでしょう」


「う・・・」


「どうしてそんな事をしたの」


「ど、どうしてって。だってさちこさまがきたら、ゆみさまがかえってしまうから・・・」


「ゆみさま?」


私がそう聞き返すと、乃梨子はしまった、という表情を浮かべた

ゆみさま、初めて聞く名前である

先ほどから4人が守るように囲まれている、もう1人の子の名前だろうか

 

そう思って、ふと視線をその祐巳という子に向ける

私の視線の先には、それはそれは可愛らしい女の子が1人、こちらを見上げていた

 

私は眩暈を感じる

この子は一体、何者なのだろうか

こんなに可愛らしい子は、私は未だかつて見た事が無い

ツインテールに大きなリボンも、恐ろしい程よく似合っていた

 

「のりこちゃんの、おねえさま?」

 

固まっている私に、祐巳ちゃんが声をかけてくる

私が姿勢を正してにっこり微笑むと、心なしか祐巳ちゃんは頬をぽっと赤らめたようだった

どうやら他の園児たちが私に鋭い視線を投げかけていたようだけど、私の目にはもう祐巳ちゃんしか映っていない


「乃梨子の姉の、藤堂志摩子といいます。乃梨子がいつも、お世話になっているわね」


「おがさわらゆみです。のりこちゃんとは、いつもいっしょにあそんでます」


「ふふ、そうなの・・・・・・え?」

 

小笠原、祐巳

・・・小笠原

小笠原って、あの小笠原だろうか

小笠原祥子の、小笠原

 

「ゆみさまのおねえさまは、さちこさまなんです」

 

そんな私の疑問を察したのか、横から乃梨子がそっと教えてくれた

 

ああそういう事だったのか、とようやく理解した

乃梨子が時間通りに帰らないのも、祥子さまが幼稚舎に来ていた理由も

ついでに乃梨子が祥子さまを落とし穴に落とした理由も

全てのパーツが、綺麗に繋がった気がした

 

乃梨子は祐巳ちゃんと一緒に居たかったのだ

その時間がどんなに素晴らしいものかは、さっきの乃梨子の表情を思い出せばわかる事だ

そして祥子さまは祐巳ちゃんを迎えに幼稚舎へとやって来た

でも乃梨子からすれば、祥子さまは祐巳ちゃんを連れて行ってしまう悪者にすぎない

だから乃梨子は祥子さまを、落とし穴に落としたのだ

少しでも長く祐巳ちゃんと一緒に居られるように

 

本当はそんな乃梨子を注意すべきなのだけど、私には出来なかった

乃梨子の気持ちが、痛いほどわかってしまったから

 

「乃梨子」

 

私が乃梨子に向き直ると、乃梨子は体をびくっと反応させる


「良いお友達が出来て、よかったわね」


「おねえさま・・・」


私が怒っていないようだとわかって、乃梨子は緊張を解いた

私はそっと乃梨子の両肩に手をかける


「乃梨子、これからは私と一緒に帰りましょうか」


「え?おねえさま、それって」


「ちょっと遅くなってしまうけれど、構わないわね?」


「・・・うん」


乃梨子は嬉しそうな表情を浮かべた

これで乃梨子は祐巳ちゃんと一緒に居る事が出来る

同時に、私もここに来る口実が出来た

私も毎日、祐巳ちゃんに会えるのだ

 

私はつい頬を緩めてしまった

まさか幼稚舎でこんな出会いがあるなんて

まったく、人生というものはわからない

 

 

とその時

 

 

「祐巳、迎えに来たわよ」

 

突然、教室の入り口から毅然とした声が響く

さっきまで落とし穴に落ちていた、祥子さまだった

 

一気に周りの空気が冷たくなっていくのを、私は感じた

祐巳ちゃんは本当に祥子さまの事が好きなのだろう、一杯の笑顔を浮かべている

しかし私を含めた他の皆は、面白くなかった

 

そんな私たちの様子を一瞥して、ふふんと勝者の笑みを零す祥子さま

優雅に私たちの方へと歩み寄ってくる

 

祥子さまがあと数歩という距離まで近づいてきたその時

乃梨子が、いつの間に作ったのか、側にある天井からぶら下がっている紐を勢い良く引いた

すると

 

 

 

 

ひゅるるるるる・・・

 

 

 

 

ごん

 

 

 

 

・・・天井から、祥子さまの頭めがけて、タライが降ってきた

一昔前のコントでよく見たようなやつだ

祥子さまは頭にタライの直撃を食らって、その場にどさりと倒れこんだ

祥子さまは倒れるときも、優雅だった

 

 

 

皆が呆気に取られている中、私はふと乃梨子に視線を向ける

乃梨子は、口の端を上げてにやりと笑っていた

その様子を見て、私はつくづく思う

 

(・・・・・・やっぱり乃梨子は、私の妹だわ)

 

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