「祐巳、今度祐麒君が遊びに来るって」


「ほんとうに!?」

 

祥子が持ってきた嬉しい知らせに、祐巳は顔を輝かせる

祐巳の唯一の肉親となってしまった祐麒

お互い別の家に引き取られ、すっかり会う機会も減ってしまった

一緒に暮らしていた頃は、当たり前のように側に居たのでわからなかったけど

それが当たり前で無くなった時に初めて祐巳は、家族の存在の大切さを思い知ったのだった

 

「それで、ゆうきはいつくるの」


「今度の日曜日よ」


「にちようびかぁ。たのしみだなぁ」

 

ここのところ、祐巳も祐麒も何かと忙しくてしばらく会っていない

久しぶりに弟に会えると思うと、祐巳の心は躍った

 

 

そして待ちに待った日曜日がやってきた

祐巳は居間で本日の来訪者を待っている

そわそわしていて、どこか落ち着きが無い


「おねえさま、まだかな」


「ふふ、祐巳、少しは落ち着きなさい。もうすぐ来るわ」


と、そこで


「祐巳お嬢様、祐麒さまがお見えになりました」


使用人が祐麒の到着を知らせにやって来た

それを聞くや否や、祐巳は居間を飛び出して駆け足で客室へと向かう

 

 

「ゆうき!」


祐麒の姿を確認すると、祐巳は嬉しそうに弟の名を呼ぶ

祐麒は顔に安堵感を一杯に浮かべて祐巳の方へと振り返った


「ゆみ、ひさしぶり」


「うん・・・・・・あれ?」


祐麒の側まで駆け寄って、祐巳は初めて祐麒の異変に気が付く

祐麒の顔はどこかやつれて、疲れた表情をしているのだ

祐巳は不思議に思って祐麒に訊ねる


「ゆうき、ぐあいわるいの?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・」


そう言って力無く笑う祐麒

祐巳はそんな祐麒を不思議に思う

ひょっとして、柏木家で苛められているのだろうか

でも祐麒は柏木家で可愛がられていると聞いているし、祐巳には理由が思い当たらない


「?ならいいけど・・・」


「それより、ゆみはもうこのせいかつになれたのか?」


「うん、みんなやさしくしてくれるよ」


「そうか、そりゃよかった」


「ゆうきは?」


祐巳がそう聞き返すと、祐麒はビクっと反応する

顔には明らかに動揺の表情が浮かんでいた


「う、うん、こっちもみんなやさしいよ。だけど・・・」


「だけど?」


「いや、なんでもない」


「なんなのよ、さっきから」


「べ、べつに。それより、ききたいことがあるんだけど」


「なに?」


「ゆみは、あの、その・・・さちこさんと」


「ゆうき、ちゃんと“さちこおねえさま”ってよびなさいっていってるでしょ」


「あ、ご、ごめん。ゆみはさちこおねえさまと、おなじベッドでねたりするのか?」


「うん、よくいっしょにねるよ」


「だっこしてもらうとか」


「うん、それもけっこう」


「きがえさせてもらったりとか」


「う〜ん、それはやらないかな」


祐巳がそう答えると祐麒は表情を暗くして、ぽつりと独り言のように言った


「・・・さすがにきがえまではやらない、か」


「ゆうきはやってもらってるの?すぐるおにいさまに」


「や、やめろよ。あいつのなまえなんて、ききたくもない」


「ゆうき、“あいつ”なんていっちゃだめじゃない」


「ゆみはなにもしらないから、そんなことがいえるんだ」


「どうして?すぐるおにいさま、やさしいじゃない」


「ちがう、ちがうんだ・・・」


そう言うと祐麒は頭を抱えてしまった

祐麒の思わぬ反応に、祐巳は驚く

どうすればいいのか戸惑っていたら

 

「ユキチ、僕の事をあいつ呼ばわりするのはあんまりじゃないかな」

 

突然、声がした

2人が振り返ると、ドアの側で爽やかに笑いながら優が立っていた


「すぐるおにいさま!」


「げっ、かしわぎ・・・」


祐麒は青い顔をすると、さっと祐巳の後ろに隠れる

祐麒の目には、嫌悪が浮かんでいた


「こんにちは祐巳ちゃん、元気にしてるかい」


「うん!」


「はは、祐巳ちゃんは素直で可愛いなぁ。ユキチも見習ったらどうだ」


「ユキチ?ゆうき、あんたユキチってよばれてるの?」


「え、うん、まぁ」


「そうなんだよ、祐巳ちゃん。僕はこんなにユキチを可愛がっているのに、

ユキチはまだ僕の事を名前で呼んでくれないんだよ。あんまりだと思わないかい」


「ちょっとゆうき、しつれいじゃない」


「だ、だから、ゆみはなにもしらないから・・・」


祐巳の背中に隠れたまま、しどろもどろになる祐麒

祐巳にはそんな祐麒の反応が、さっぱり理解できない

どういう事かと聞き出そうとしたその時


「こんにちは、祐麒君。お久しぶりね」


今度は祥子がやって来た


「あ、さちこさん・・・じゃなくて、さちこおねえさま。こんにちは」


「ふふ、祥子さんでも構わないわよ」


「はあ」


「優さん、せっかく久しぶりに会ったんだから、水を差しては悪いわよ」


「そうだね、さっちゃんの言う通りだ。じゃあユキチ、夕方になったら迎えに来るから。楽しんでおいで」


2人はそう言うと、部屋の外へと出て行く

再び、部屋の中には祐巳と祐麒の2人だけとなった

 

 

「ちょっとゆうき、いつまでわたしのせなかにかくれてるのよ」


2人が去っても未だに祐巳の後ろに隠れている祐麒

祐巳に言われてようやく気が付いたのか、気まずそうに祐巳から離れた


「ゆうき、なにがあったの」


「うん・・・あのさ、さっきのつづきなんだけど」


「うん」


「おれ、かしわぎにめをつけられてるんだ」


「かわいがられてるんでしょ?」


「だから、ちがうんだって。いっしょにねたり、だっこされたりしてるんだ」


「それならわたしだって、おねえさまがしてくれるよ」


「きがえさせられて、あげくのはてにはいっしょにおふろはいったりしてるんだぞ」


「ふーん」


「ふーん、って・・・」


まるで当たり前のような反応をする祐巳

祐巳なら自分の苦労をわかってくれると思っていた祐麒は、愕然とした


「お、おかしいとおもわないのかよ」


「いっしょにおふろはいるのは、わたしもやるし。ゆうきはいやなの?」


「いやだ。あいつとなんて、ぜったいいやだ」


「わたしは、おねえさまとだったらうれしいけどなぁ」


祐巳がそんな事を呑気に言う

それを聞いた祐麒は祥子に嫉妬を抱きつつ、祐巳にまくし立てた


「ゆみ、それっておかしいよ」


「ゆうきはなんでそんなにいやなの」


「ゆみはしらないだろうけど。あいつは、おとこがすきなんだ」


「えっ!?」


祐巳は自分の耳を疑った

優は男が好き

それはつまり、同性愛者という事だ

祐巳だってそれくらいは知っているし、同時に嫌悪感を感じる


「優しい隣のお兄さん」という祐巳の中の優のイメージが、音を立てて崩れていく

後には、弟に手を出そうとする優に対する憎悪感だけが残った

 

でも、それを言うなら実は祥子も優と似たようなものなんだけど

祐巳も祐巳で、同性の祥子や志摩子にときめいたりしているし

さらに(あまり深く考えていないのだが)聖と婚約までしている

しかし祐巳は、そんな事はすっかり忘れてしまっていた

それくらい祐麒から告げられた事実は祐巳にとって衝撃的だったのだ

 

「とにかく、あいつがそばにいるのは、いやなんだ」


弱々しくそう呟く祐麒

その時、祐巳の中で、姉としての本能が目覚めた

祐麒の姉としての祐巳が、心の中で声高に叫ぶ

私がこの手で弟を守るのだ、と


「ゆうき、わたしがまもってあげるから」


がしっと祐麒を抱きしめながら、祐巳が言った

祐麒は祐巳の思わぬ行動に、顔を赤くする

結局のところ、祐麒は極度のシスコンだった


「あ、ありがとう、ゆみ。でも、どうすれば」


「だいじょうぶ、わたしにかんがえがあるから」


そうきっぱり言う祐巳

表情にはやけに自信が溢れていた

そんな祐巳を見て、祐麒は心ひそかに思う


(ほんとうにだいじょうぶかな・・・)


信頼していないわけじゃないけど、ドジな祐巳のことだ

逆に祐麒のほうが心配になってしまう有り様だった

 

 

そして夕方

約束通り、優が祐麒を迎えにやって来た

ところが


「あれ?祐巳ちゃん、ユキチは」


部屋に居るはずの祐麒が、どこにも見当たらない

狐につままれたような顔をしている優に、祐巳は嫌悪感を隠しもせずに告げた

祐麒と隠れんぼをしていたら、祐麒はそのままどこかへ行ってしまった、と


「祐巳ちゃん、それって大変じゃないか」


爽やかないつもの表情を崩して、優が言う

しかし祐巳は、そんな優をまったく気にする様子もない

むしろざまあみろ、くらいに思っていた


けれど、そんな祐巳の表情を見て、すぐに優は見抜いた

『これは祐巳ちゃんとユキチの陰謀なんだ』と

そうでなかったら、祐巳がこんなに平然としていられる訳は無いのだ


「祐巳ちゃん、心当たりはあるかい?」


本当はもう嘘だってわかったと祐巳に教えても良かったのだけど

でも優は、もう少し祐巳と祐麒に付き合ってあげることにした

2人がこうするのは、きっと何か理由があるからに違いないからだ


祐巳が自分に対して嫌そうな顔をしたのは、祐麒から自分の性癖を知らされたからだろう

だから多分、それが関係しているに違いないと優は読んだ


「わかんない。でも、この部屋には居ないよ」


「そっか。じゃあ、他の部屋かな。この家は広いから、探すのは大変だ」


やれやれ、とわざとらしく肩をすくめながら部屋を出て行く優

優がドアを閉めて足音が遠ざかっていくのを確認すると、祐巳はベッドの掛け布団をめくった


「すぐるおにいさま、いったよ」


祐麒が隠れていたのは、いつも祐巳が寝ているベッドの中


「すぐるおにいさまがあきらめてかえるまで、がまんして」


これが祐巳の立てた計画だった

こうしてずっと隠れていて、優が諦めて帰るまで待つ

そうすれば祐麒は連れて帰られずに、祐巳と一緒に居られるのだ

祐麒が優の毒牙にかかる心配は、無くなる


本当はこれは根本的な解決になっていないのだけど、祐巳は完璧だと信じて疑っていなかった


「ほんとうにだいじょうぶかな」


掛け布団から頭だけひょっこり出して、祐麒が祐巳に聞く

やっぱりまだ、祐麒は不安だった


「だいじょうぶよ。わたしをしんじて」


「でも」


「わたしがゆうきをまもるって、いったでしょ」


祐麒は複雑そうな表情を浮かべる

本当は祐麒は、祐巳を守る立場になりたかった

祐巳を心配させたくなかった


「ゆうきは、わたしのだいじなかぞくだもん」


「ゆみ・・・」


祐麒はしばらく考え込むと、決意を秘めた表情でベッドから起き上がる

祐巳は驚いて祐麒を止めようとしたけど、祐麒は笑って祐巳を制した


「ゆみ、おれ、かえるよ」


「え、でも」


「ゆみにまもられるなんて、はずかしいし」


「いいの?すぐるおにいさまがいるよ」


「これくらい、どうってことないから。しんぱいするなよ」


そう言って祐麒がドアに向かって歩いていった、その時

 

がちゃり

 

誰かがドアを開けて、部屋の中に入ってくる

優だった


「すぐるおにいさま!」


「祐巳ちゃん、ごめん。全部聞いてた」


優は部屋を出て遠くに行ったフリをして、再び足音を消して部屋の前まで戻ってきていた

ドアに耳をそばだてて、優は2人の会話を聞いていたのだった


「ユキチ」


「な、なんだよ」


「弟思いの優しいお姉さんを持って、ユキチは幸せ者だな」


「はっ!?あ、あたりまえだろ」


「祐巳ちゃん」


「な、なに」


「祐巳ちゃんの気持ちに免じて、ユキチには手を出さないよ。安心してくれ」


「ほんとうに?」


優の言葉を聞いて、幾分か表情を和らげる祐巳

よかった、これで祐麒に手を出される事はない

初めから話せばわかってもらえる事だったのだ

人はお互い、わかりあえる事ができるのだ

と、そう思っていたら

 

「うん、ユキチが大人になるまでは我慢するよ。子供に手を出すのは犯罪だからね」

 

優はさっぱりわかっていなかった

 

結局、柏木優とはこういう人間だった

人の気持ちがわからないのだ

 

「あ、あれ?どうしたの、祐巳ちゃん」

 

無言のまま怒りに震える祐巳

ゆっくり、一歩一歩と優に近づいていくと

 

「ゆ、祐巳ちゃん?・・・・・・うぐっ」

 

優の腹に正拳突きを一発

園児の、女の子とは思えない力で、思いっきり殴った

思わぬダメージをくらってその場にうずくまる優

 

「うぅ・・・祐巳ちゃん・・・意外に強いんだね・・・・・・ぐふっ」

 

優はそう言葉を絞り出して、ついに力尽きた

それを祐巳は冷酷な表情で見下ろす

弟を思う姉の力は、強かった

 

「ゆうきにてをだしたら、つぎはこんなもんじゃすまないんだから」

 

この日から、祐麒を優から守る祐巳の戦いが始まったのだった

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