GWを目前に控えたある日

テレビの前で、祐巳がじっと画面に見入っていた

 

「・・・祐巳?何か、面白い番組でもやっているのかしら?」

 

祥子も視線をテレビ画面に向ける

テレビには、熟して真っ赤に染まったイチゴが画面一杯に映っていた


「イチゴ?祐巳、イチゴが食べたいの?」


祐巳は視線をテレビに向けたまま、こくんと頷く


「じゃあ、今から取り寄せましょうか」


「ううん、そうじゃなくて・・・」


「え?」


「いちごがりにいきたいの」


「イチゴ狩り?」


「うん」


祥子は思った

イチゴ狩りとは何だろう、と

小笠原の家系に名を連ねてはいたが、極めて庶民的だった福沢家

祐巳は祥子の知らない事をたくさん知っている


「そ、そう、イチゴ狩りね。わかったわ。じゃあ、休みになったら行きましょうか」


本当はわからないのだけど、祐巳の手前、そんな事は言えない

後でイチゴ狩りとはどういうものなのか調べる必要があった


「ほんとう!?」


目を輝かせて祥子の方に振り返る祐巳

祥子もそれにつられて、つい顔を綻ばせてしまう


「ええ、本当よ。GWが楽しみね」


何だか良くわからないけど、祐巳がこんなにも嬉そうにしているのだ

きっとイチゴ狩りとは素晴らしいものに違いなかった

 

祐巳と約束した後、祥子はイチゴ狩りについて調べた

本を漁ったり使用人に聞いてみたり

お陰で、大まかな知識を得る事はできた


何より驚いたのは、その場で苺を摘んで食べるというシステムだ

これは潔癖症の祥子には、少々抵抗がある

けれど祥子が聞いてみた人々は口を揃えて言った

 

「その場で食べるから美味しいんです」

 

 

 

「そういうものなのかしら・・・?」

 

庶民的な感覚に、いまいち付いていけない祥子

顎に手を当てて、何とか理解しようと努力していると

 

「祥子さん」

 

清子がやって来た


「祥子さん、祐巳ちゃんとお出かけするんですってね」


「はい、GWに祐巳とイチゴ狩りへ」


「ずるいわ、祥子さんばかりいつも祐巳ちゃんを独り占めして」


「はぁ・・・」


清子はそう思っているが、実際はそうでもない

祥子が祐巳と一緒に居たくても、大抵の場合邪魔が入ってくるのだ

つい先日に薔薇さま方に祐巳の存在を知られてからは、より一層その傾向が強くなった

だから祐巳と2人きりで出かけるというのは、本当に久しぶりなのだ


「そういえば、さっきイチゴ狩りの事で小耳に挟んだのだけれど」


ひそひそと囁くように顔を近づけてくる清子

何事かと祥子も耳を近づける


「実は、・・・・・・・・・」


「え・・・そうだったんですか・・・そう、だから祐巳はイチゴ狩りに・・・」


清子から告げられたのは、意外な真実

その重さに、祥子は表情を曇らせる


「だったら、なおさら祐巳には楽しんでもらわないといけないわね」


少しでも祐巳にとって良い思い出になるようにと、祥子は心ひそかに願った

 

 

そして迎えたGW

どこまでも抜けるような青空が広がり、気温もそれほど高くなく過ごしやすい1日である

絶好のイチゴ狩り日和と言って良かった

 

車に乗り込んで目的地であるイチゴ園に向かって出発するなり、祥子は寝てしまった

本当は祐巳とお喋りでもしながら行きたかったが、祥子の酔いやすい体質はどうにもならない

ここで気分を悪くして今日一日の予定を狂わせるよりは、こうした方が良かった


「ねぇねぇ、まついさん」


暇を持て余していた祐巳は、忠実に職務をこなす運転手に話し掛ける

まだ人を使う事に慣れていない祐巳は、使用人たちに対して呼び捨てで呼ぶ事ができない


「何でしょうか、祐巳お嬢様」


「あとどのくらいでつくの?」


「そうですね、2時間くらいでしょうか」


「・・・そんなに?」


「祐巳お嬢様も寝ては如何ですか。昨晩は、あまりよく眠れなかったでしょう」


祐巳は昨日の夜、興奮してなかなか寝付けなかった

だから睡眠時間はいつもと比べるとだいぶ少なかったのだけど

でも期待に胸が膨らんで、寝ようという気にはなれない


「ねぇ、まついさんは、いつからうんてんしゅさんをやっているの」


「祥子お嬢様が生まれる前から、ずっとですよ」


「おねえさまがうまれるまえ?」


「だから、祥子お嬢様が祐巳お嬢様くらいだった時の事も知っています」


「おねえさまって、どんなこだったの」


「祥子お嬢様は、昔も今もほとんど変わりませんよ」


「そうなの?」


「でも、祐巳お嬢様がいらしてからは、よく笑うようになりました」


「おねえさまは、いつもわらっているよ」


「祐巳お嬢様が来る前は、あまり笑わないお方だったんですよ」


「ふーん、そうなんだ。ねぇ、まついさんは・・・」

 

次々と質問を浴びせる祐巳

松井は、丁寧に一つ一つ答えていく


「それで・・・まついさんは・・・・・・」


次第に祐巳の口数が減ってきたと思うと、やがて後ろの座席からすやすやと寝息が聞こえてきた

車内に響く心地良い振動と睡眠不足で、祐巳はいつの間にか深い眠りへと落ちてしまっていた

2つの寝息をBGMに、車は軽快に目的のイチゴ園へと向かっていく

 

 

「到着しました」

 

松井に起こされて、祐巳はごしごしと目を擦る

目を窓の外に向けると、そこにはイチゴが栽培されているビニールハウスが視界一杯に広がっていた

眠気が一気に吹き飛んで、祐巳は嬉しそうに車から降りる


「おねえさま、はやく」


「ふふ、慌てないの」


祥子の腕を引っ張ってはしゃぐ祐巳

祐巳をここに連れてきて良かった、と祥子は実感した

 

 

「どれにしようかなぁ」


コンデンスミルクを片手に、どのイチゴを食べようか迷う祐巳

その表情はとても嬉しそうだ

一方


「・・・本当に大丈夫なのかしら?」


同じく迷っている祥子

祐巳とは別の理由で悩んでいる

祥子は、未だにその場で食べるという事に抵抗を感じていたのだった


「ねぇ祐巳、これって」


ふと視線を横に向ける

ちょうど祐巳が、イチゴにコンデンスミルクをたっぷりつけて食べるところだった

ぱくり、とイチゴを食べる祐巳

祥子はじっと見守るようにその様子を見つめる


「んん〜」


「ゆ、祐巳?大丈夫?」


「おいしい!」


笑顔を一杯に浮かべる祐巳

それを見て、ようやく祥子も決心を固めた


「祐巳も美味しいって言っているんだから、大丈夫よ」


自分に言い聞かせるように呟いて、摘んだイチゴを目の前に持ってくる

埃を落とすように何度か息を吹きかけた後、一気に口の中に放り込んだ

目を思いっきり瞑って、何度かイチゴを噛み締める


「・・・・・・あら、結構美味しいわね」


さして珍しい事ではないのだが、祥子にとっては新しい発見だ

世間知らずで筋金入りのお嬢様である祥子には、こんな庶民的な事が新鮮に感じられる

その場で食べるから美味しい、という使用人たちの言葉は本当だった


「祐巳、美味しい?」


「うん!」


「そう。良かったわ」


2人で色々話しながら、イチゴを摘んでいく

どういうイチゴが美味しいとか

ヘタの方より先端の方が甘いとか

まだ熟していない青イチゴが好きな人もいるとか

そんな事を祐巳に教えられつつ、祥子は2人の時間を楽しむ

祐巳と一緒にいる時間は、どんな時間よりも温かかった

 

 

楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、やがて制限時間を迎える

祥子と祐巳は充分にイチゴを満喫して、満足そうな表情を浮かべた


「おいしかった」


「ふふ、そうね」


イチゴ狩りを終えて、2人は車へと向かう

この後も、色々な場所を回る予定だった


「あ、そうだったわ」


「?」


「祐巳、ちょっと先に車で待っていてくれる?」


「うん」


車に歩いていく祐巳を見送ってから、祥子は踵を返す

今日イチゴ園に来たのは、イチゴ狩りの他にも目的があったからだ

それは・・・

 

「お持ち帰り用のイチゴを頂きたいのですが」

 

料金を払って、ビニール袋に入ったイチゴを受け取る

祥子はそれを見て、先日の清子の言葉を思い出した

 

『この時期にイチゴ狩りに行くのは、福沢家の恒例行事だったんですって』

 

祐巳がイチゴ狩りに行きたいと言い出した理由は、これだった

思い出にすがって、少しでも両親を失った寂しさを耐えようとしているのだ

普段はそういう素振りはあまり見せないけれど、やはり祐巳は寂しいのだ

そんな祐巳の心情を思って、祥子は辛そうな表情を浮かべる


「祐巳には、やっぱり笑っていてほしいものね」


祥子はそう呟きつつ、祐巳の待つ車へと足を向けた

 

 

日がとっぷりと暮れた頃、祥子と祐巳は家に到着した

祐巳は相当疲れてしまったらしい

部屋に入るなりすぐにベッドに潜り込んでしまった

 

祥子は祐巳を寝かしつけると、厨房へと向かう

持ち帰ってきたイチゴを持って

思わぬ来訪者に、厨房にいた料理人たちは色めき立つ


「祥子お嬢様、こんな所に何か御用でしょうか」


「ちょっとお願いがあるのだけれど」


「はい、何なりと」


「このイチゴで、ジャムを作りたいの。作り方を教えて欲しいのよ」

 

イチゴ園から持ち帰ったイチゴでジャムを作る

これもまた、福沢家で毎年行っていた事だった

 

「お嬢様がお作りになられるんですか?私どもに任せていただければ」


「私が作らないと、意味が無いの」

 

祥子は祐巳の為に、何でもしてあげたかった

祐巳が辛い思い出を克服するその日まで

祐巳の深い心の傷はそう簡単には癒えないだろうけど

でも祥子は、祐巳が辛いときや悲しいときには、どんな時でも側にいてあげるつもりだ

 

 

いつか祐巳の心の拠り所が、思い出ではなく自分になれるように

祥子はそう願いつつ、イチゴを煮詰める鍋に火を入れる

厨房に満ちたジャムの甘い香りは、どこまでも優しかった

inserted by FC2 system