―――ピピピピ、ピピピピ

 

部屋中に、目覚し時計の電子音が鳴り響く


「ん・・・・・・」


私は居心地の良い夢の世界から突然引きずり下ろされる

抵抗するように布団を頭に被ってから、ゆっくりと意識を覚醒させていった


「朝・・・」


閉じたカーテンの隙間からは陽光が差し込んで、薄暗い部屋を僅かに照らしていた

私は伸びをすると、けたたましく鳴り響いている目覚まし時計に手を伸ばす


思うのだが、朝の目覚めにこの無機質な電子音というのは、いささか無粋ではないか

どうせならやっぱり、気持ち良く目を覚ましたい

録音できる目覚し時計もあるというし

それを買って、祐巳の声でも吹き込んでみようか


「おねえさま、あさだよ。おきて」


なんて・・・


本当は、隣で寝ている祐巳に起こしてもらうのが一番良いのだろうけど

でも祐巳は良く寝る子だ、ちょっとやそっとじゃ起きない

現に私がいつもこうして祐巳より早く起きて、祐巳を起こしてあげているのだ


私はベッドから起き上がって、勢い良くカーテンを開く

光が一気に押し寄せて、私を包み込むように辺りに広がった


「今日も良い天気だわ。マリアさまのこころ、ね」


私は1つ深呼吸をすると、まだ寝ている祐巳に向き直った

部屋を満たす光から逃れるように、祐巳は頭からすっぽりと布団を被っている

それが可笑しくて、思わず笑みがこぼれてきた


「ふふ、本当に祐巳はお寝坊さんね」


私はゆっくりと祐巳を揺すって、優しく語りかける


「祐巳、朝よ。起きなさい」


「・・・・・・・・・」


「・・・・・・祐巳?祐巳。起きなさい」


「・・・・・・・・・」


何だか祐巳の様子がおかしい

いつもだったらここで目を覚ますはずなんだけど


「・・・・・・祐巳?」


訝しげに布団を剥いでみる

するとそこには

 

顔を赤くして、苦しそうに呼吸をしている祐巳の姿があった

 

「お、お母さま!祐巳が、祐巳が・・・」


ドタバタと淑女らしからぬ様相で、食卓へと駆け込む

突然の出来事に、お母さまは目を白黒させていた


「祥子さん、祐巳ちゃんがどうかしたの」


「ゆ、祐巳が、熱を出して、寝込んで・・・」


「えぇ!?」


私の話を聞いたお母さまは、案の定取り乱していた

手に持っているカップが、小刻みに震えている


「そ、そんな。どうしましょう。祥子さん、祐巳ちゃんは大丈夫かしら」


顔面蒼白、まるでこの世の終わりのような顔をしている

きっと私もそのような顔をしているのだろう


「ど、どうすればいいのかしら、祥子さん」


「と、とにかく医者を。小笠原のかかりつけの病院に、連絡して下さい」


「え、ええ、そうね。そうだわ。誰か、電話を。早く!」


あわあわと皆取り乱す

優雅な朝の時間は一転、修羅場と化してしまった

 

 

「風邪ですね」


祐巳を診察した医者は開口一番、そう言った

世界的権威の医者で、小笠原家の信頼も厚い人だ


「・・・風邪、ですか」


「このところ、気温の差が激しかったですから。それで体調を崩されたのでしょう」


「それで、祐巳は大丈夫なんですか」


「熱が少しありますが、問題ないでしょう。薬を飲ませて、1日静養させて下さい」


はぁ〜、とその場にへたり込む

無事だという事がわかり、とりあえず一安心というところか

隣を目をやると、お母さまは安堵の表情を浮かべて涙を流していた

と、そこで

 

バタン

 

突然乱暴に扉が開く

飛び出してきたのは、会社に出勤している筈のお父さまだった

肩で呼吸をしていて、顔には明らかに動揺が浮かんでいる


「お、お父さま?どうしてここに」


「ゆ、祐巳ちゃんが倒れたって聞いて」


「それなら、大丈夫です。ただの風邪だと」


「し、しかし風邪は万病の元と言うし。こじらせて肺炎にでもなったら」


「それよりお父さま、今日は重役を集めての大事な会議があったのでは」


「祐巳ちゃんの一大事なのに、そんな呑気な事していられる訳ないだろう」


悲壮感を漂わせながら、弱々しく呟く

どんな大事な会議も、祐巳の前では些細な事らしい

お父さまとお母さまは、どうしようもないくらい親バカだった


ちらりと時計に目をやると、もうとっくに登校時間を過ぎている

本当は祐巳の看病をしてあげたいけど、山百合会で仕事もあるし、休むわけにはいかない

私は後ろ髪を引かれる思いで、鞄を手に取った


「祐巳、待っていなさい。すぐに帰ってくるから」


今は落ち着いて穏やかに寝息を立てる祐巳にそう告げて、私は家を後にした

 

 

「・・・祥子?祥子ってば」


「え?ああ、何かしら?令」


結局今日一日は、ずっと放心していた気がする

授業の内容など全く覚えていなかった

もしかしたら祐巳の容態が急変しているかもしれない

こうしている間にも祐巳は苦しんでいるかもしれない

そんな不穏な事まで考え出してしまう始末

そう思うと、ゆっくりと進む時計の針が恨めしくて仕方がなかった


放課後の薔薇の館で、皆が揃うのを待つ時間というのも、苦痛にしか思えない

気分を紛らわそうと本を読んでいた時に、令が声をかけてきたのだ


「祥子、どうしたの。何か今日変だよ」


「そうかしら?私は、いつも通りよ」


「・・・本、逆さになってるよ」


「え?」


言われたとおり目を向けると、確かに私は本を逆さにして読んでいた

今の今まで全く気が付かなかったなんて

令は意地の悪い笑みを浮かべて、からかうように聞いてくる


「何、祐巳ちゃん関係?」


「・・・何でそう思うのよ」


「だってそれ以外に理由ないじゃない」


「・・・・・・・・・」


「ほら、白状しなって」


「・・・・・・祐巳が、風邪で寝込んでしまったのよ」


「ふーん・・・・・・って、えぇ!?」


「医者は大したこと無いって言ってたけど。でも、やっぱり心配なのよ」


「こ、こんな所で油売ってていいの?」


「山百合会の仕事を放り出す訳にはいかないでしょ」


はぁ、とため息を吐いて本を閉じる

私だって本当は、今すぐにでも祐巳の元へ飛んでいきたいのだ

早急に仕事を終わらせたかったけど、まだ全員揃っていないから仕事も始められない

もどかしくて、焦れったくて、でもこの気持ちはどこにもぶつけようがないのだ


と、その時

 

「じゃあ今日は活動を中止して、祐巳ちゃんのお見舞いに行きましょう」

 

突然勢い良く扉が開き、紅薔薇さまが中に入ってくるなりそう告げた

よく見ると、後ろには白薔薇さま、黄薔薇さま、志摩子が待機している


「お、お姉さま?仕事は」


「別に構わないわよ。今は急ぎの仕事はないし」


「し、しかし」


「それにやっぱり、祐巳ちゃんが心配だから。ね?」


紅薔薇さまが同意を求めると、皆一様に首を縦に振る


「一日一回は抱きしめてあげないと、落ち着かないんだよね」


「私も祐巳ちゃんと遊んであげたいし」


「この機会に、ご両親にご挨拶をしておくのも良いですわね」


とまぁ、皆勝手なことを言っている

それにしても志摩子の「ご両親にご挨拶」ってどういう意味だろうか


「・・・本当にいらっしゃるのですか」


「何、祥子。私たちがお見舞いに行くのが不満なの?」


「いえ・・・」


不満だった

私と祐巳の、2人きりの時間と空間を邪魔されるのは、どうにも我慢ならない

だからあまり来て欲しくは無かったんだけど

しかし祐巳は、きっと皆が来てくれたら喜ぶだろう

口惜しいが、祐巳のことを考えれば、皆にお見舞いに来てもらうべきなのだ

けど、私は来て欲しくない

苦渋の決断だった

祐巳の為に皆にお見舞いに来て貰うか、私のわがままを通すか

そして私は・・・

 

 

「祥子、何ふてくされてんのよ」


「別に・・・ふてくされてなんて、いませんわ」


結局私は、お見舞いに来て貰うことにした

本当に祐巳の為を思うのなら、姉としてこうするべきなのだ

私は自分にそう言い聞かせて、沸々と沸き起こる不満を抑える


「ただいま帰りました」


「祥子さん、お帰りなさい。それに皆さんお揃いで」


「ごきげんよう、清子小母さま。本日は祐巳ちゃんのお見舞いに参りました」


「あら、それはそれは。きっと祐巳ちゃんも喜ぶわ。さ、こちらよ」


そう言って、皆を部屋に案内する

私はお母さまに肩を並べると、そっと耳打ちした


「お母さま、祐巳の容態は」


「大丈夫よ、熱も下がったみたいだし。今、起きているんじゃないかしら」


「そう」


ほっと胸を撫で下ろす


「でも、1人で退屈そうにしているから。ちょうど皆さんが来てくれて助かったわ」


言われて、さっと後ろを見回した

少々不本意だけど、そういう事ならば、確かに皆を連れてきたのは正解らしかった

 

 

「祐巳。入るわよ」


ドアをノックして、部屋に入る

祐巳はこちらを振り返ると、ぱぁっと顔を輝かせた


「おねえさま!それに、ようこさま、えりこさま、せいさま」


「祐巳ちゃん、ごきげんよう」


「れいさま!」


「祐巳ちゃん、体のほうは大丈夫かしら?」


「おねえ・・・しまこおねえさま」


祐巳がそう言い直す

そう、祐巳は志摩子にロザリオを貰ったので、志摩子を姉だと思っているのだ

薔薇さま方にも貰ったのだから、本当は薔薇さま達も姉のはずなんだけど

この前に薔薇さま達に貰ったロザリオは下級生3人にあげてしまったので、そうは思っていない

ロザリオがあげると姉との姉妹関係は解消される、と祐巳は勘違いしているらしかった


本当の事を教えるべきなんだろうけど、かえってややこしくなるから、今は止めておく事にしている

薔薇さま方は不満そうにしているが、これでいいのだ


「ゆ〜みちゃん、元気?」


ガバっと白薔薇さまが祐巳に抱きつく

皆の目に殺気がこもった

眼力で人を殺せそうな視線を浴びながらも、白薔薇さまは気にする様子もない

祐巳も嬉しそうに頬を緩めているだけだ


「う〜ん、やっぱり祐巳ちゃんの抱き心地は最高だなぁ」


頬ずりしながら白薔薇さまが言う

何だかこのまま行為がエスカレートしていきそうな雰囲気だったので、皆で白薔薇さまを引き剥がした


「祐巳ちゃん、りんご剥いてあげようか」
 

「祐巳ちゃん、1人でつまらなかったでしょう。お姉さんが、遊んであげるからね」


「祐巳ちゃん、絵本持ってきたから、読んであげるわ」


皆が祐巳の周りにわらわらと集まる

祐巳の嬉しそうな顔をしている、それを見たらこれで良かったのだと思う

けれどその反面、嫉妬心があるのも事実だった

そんな自分を持て余して、私はひっそりとため息を漏らす


「姉の心境は複雑だね、祥子」


「・・・令」


「祐巳ちゃんが他の人と楽しそうにしてるのが嫌なの?」


「別にそういう訳じゃないわよ」


フン、と鼻をならして横を向く

けれど令も私の扱いには慣れたもので、いつもの事だと気にしていないようだった


「拗ねないの。祐巳ちゃんの本当の笑顔が見れるのは、祥子の前だけなんだから」


祐巳は私の視線に気づくと、にっこりと微笑む

確かに令の言うとおり、この笑顔は私にだけ向けてくれるのだと思う

他の人に向ける笑顔とは、明らかに違うと私にはわかるから


「嫉妬してるのは、私たちの方なんだよ」


令はそう言って肩をすくめると、祐巳を取り囲む輪の中に加わっていく

何だか、祐巳に関すると途端に狭量になってしまう自分が、恥ずかしくなってきた


「・・・まぁ、今日は勘弁してあげるわ」


少し安心して、祐巳と遊んでいる皆に目をやる

そうだ、私は祐巳にとって特別な存在なのだ

だからどんなに祐巳が皆と仲良くしようが、気にする必要もないのだ


そう思って一人納得していたら

 

「祐巳ちゃん、体は大事にしなければ駄目よ?」


「しまこおねえさま・・・はい、きをつけます」

 

・・・・・・・・・

 

志摩子と祐巳の2人の間に、何やらただならぬ空気が流れていた

頬を染めて志摩子を見つめる祐巳の瞳は、まさに恋する乙女そのもので―――

 

 

ビリッ・・・・・・

 

 

部屋の中に、ハンカチを引き裂く音が静かに響き渡った

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