私、小笠原祥子に妹はいない

そもそも作る気が無い

私にはもう妹がいるから

 

最初に妹はいないと言ったのに、もう妹がいるとはどういう事か

 

私には戸籍上の、血の繋がっていない妹がいるのだ

あの子がいる限りは、スール制度の妹を作る気なんて、全く起こらない

それくらい私にとって、あの子は大事な存在だ

名前を、小笠原祐巳という

 

 

「それでは、今日はお先に失礼致しますわ」


放課後

薔薇の館で会議が終わるなり、私は手早く荷物を鞄に詰める

仕事は終わっている、何故なら昨晩のうちに家で済ませてきたから

睡眠時間を削ってまで仕事をするのには、訳がある

幼稚舎で待っている妹を、一刻も早く迎えに行かなければならないからだ


「あら祥子、今日も早いのね」


「愛しの祐巳ちゃんが待っているからね」


「祥子、今度祐巳ちゃん連れてきなさいよ」


口々に薔薇さま方が言う

この方たちも、祐巳にぞっこんの状態だ

この方たちに限らず山百合会の面々は揃いも揃ってそうなんだけど

思えば、ここに祐巳を連れてきたのは失敗だったかもしれない

祐巳を一目で気に入ってしまった山百合会の面々

何かと祐巳に会わせろ、とうるさくて仕方がない


「また機会があれば。では、ごきげんよう」


薔薇の館を出るなり、私は早足で幼稚舎へと向かった

本当は走っていきたいのだけど

でもあの子の前で、そんなはしたない真似はできないのだ

 

 

彼女、小笠原祐巳は、以前は福沢祐巳と名乗っていた

福沢家は小笠原家の遠い親戚に当たる

小笠原の家系の末端に位置する家だから、顔を会わせる事なんて全く無かった

私が祐巳の存在を知ったのは、1年前のことだ


1年前、祐巳のご両親が交通事故で亡くなるという不幸が起きた

その葬式の場で、偶然私と祐巳は出会ったのだ

まだ4歳だった祐巳に両親の死を受け入れられるはずもなく

見ているこっちが辛くなるほど祐巳は憔悴しきっていた

そんな彼女を放っておけず、私は両親に直訴した

 

「福沢祐巳を小笠原家の養子に迎え入れてください」

 

両親、特に祖父と父は反対した

将来、何かと面倒なことになりかねないからと

渋りに渋る祖父たちを説き伏せるのには容易な事では無かったけれど

でも私は、どうしても祐巳を迎えいれたかった

同情心というのもあるけど、それだけだったら私はこんな事は言わない

私は、祐巳に運命的な何かを感じたのだ

それは具体的なものではないけれど、確信に近いものが、私の中にあった


粘りに粘って両親の説得に成功し、晴れて祐巳は小笠原家の養子となった

けれどやって来た当初は、祐巳は誰にも心を開かなかった

突然両親が死んで、そして突然別の家の養子となったのだ

目まぐるしく変わる環境に、祐巳は戸惑っていた

唯一の肉親だった祐麒君と離れ離れになってしまったのも祐巳にとって辛かったようだ

祐麒君は柏木家に引き取られたので、全く会えないという訳では無かったけど

でもいつも一緒に居たのだから、心細くなってしまうのは仕方の無い事だった


私は辛抱強く祐巳に接していった

最初は話し掛けても返事さえ返ってこない有り様だった

だが次第に祐巳が私に心を開くようになってくると、ようやく少しずつ祐巳のことがわかってくる

祐巳は生の感情のままの、健康的な魅力を備えている子なのだ、と

今まで生気の無い顔しか見たこと無かったけど

祐巳の花も綻ぶような笑顔に、私はどんどん惹かれていった


今では、祐巳はすっかり小笠原家に溶け込んでいる

あんなに渋っていた祖父や父も、それがまるで嘘だったかのように可愛がっている

それこそ目に入れても痛くない、という表現が当てはまるほどに


「祐巳は嫁には出さない」


そんな事まで言っていた

冗談なのか、そうでないのか判らないほど、祐巳は溺愛されているのだ

 

 

「ごきげんよう。小笠原祐巳の迎えに参りました」


もはや顔なじみとなった保育士に声をかける

ほとんど毎日のように私がやってくるのだから、あちらももう慣れたものだ

いつものように人当たりの良い笑顔を浮かべると、私を教室まで案内する


「毎日、遅くまで祐巳の相手をして頂いて、申し訳ありません」


「いえ、いいんですよ。祐巳ちゃんと遊ぶのは、私も好きですから」


一歩、一歩と次第に祐巳のいる教室が近づいてくる

もうすぐ祐巳に会えると思うと、心が躍った

それはもう嬉しくて仕方が無いのだが、憂鬱な事が無いわけでもない

それはどういう事かというと


「祐巳、迎えに来たわよ」


「おねえさま!」


教室の扉を開けて、私の姿を確認するや否や、祐巳が私に飛びついてくる


「ごきげんよう、祥子さま」


ちょっと言葉に毒を含ませて挨拶をしてくる園児数名

彼女たちは祐巳の側にくっついて離れようとしない

名前は


令の従姉妹、島津由乃ちゃん

志摩子の妹の、藤堂乃梨子ちゃん

私の親戚の、松平瞳子ちゃん

そして祐巳を信奉している、細川可南子ちゃん


私が祐巳を迎えにいくと、この子達も決まって一緒に居るのだ


この子達は祐巳の事が大好きだ

それで事ある毎に、いつも祐巳を独占している私に突っかかってくる

普通ならもうとっくにバスで帰っているはずなんだけど

でも祐巳と一緒に居たいがために、いつもこの時間まで残っているのだ

同じクラスの由乃ちゃんならまだわかる

でも一学年下の乃梨子ちゃん、瞳子ちゃん、可南子ちゃんまで一緒に居るとは


「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」


名前を知っているはずなのにわざわざそう呼んでくる由乃ちゃん

敵意の眼差しでにらめつけてくる

ぱっと見は薄幸の美少女と言った感じなんだけれど、私はその正体を知っている

中身が超女の子の令とはまったく逆、暴走したら止まらない

この2人はどう考えても生まれてくる体を間違えたとしか思えなかった


「ごきげんよう、祥子さま」


無表情で挨拶をしてくる乃梨子ちゃん

カトリックのリリアンに通っているのに、趣味は仏像鑑賞という一風変わった女の子だ

シスター志望である姉の志摩子とは、これまた逆の性質を持っている

ただ藤堂姉妹に共通しているところは、油断ならないという事だ

以前、乃梨子ちゃんが仕掛けた落とし穴にはまってしまった事もある

何を考えているのか判らない、というのも共通点かもしれない


「ごきげんよう、祥子お姉さま」


多少オーバー気味に挨拶をしてくる瞳子ちゃん

この子は私の遠い親戚に当たる

当初、私の妹に収まった祐巳を敵視していたが、いつの間にやら祐巳の虜になってしまっていた

普段は私にも親しく接してくれるけれど、祐巳が絡むとなると話は別だ

毎週日曜日は決まって祐巳に会いにくるからたまらない


「・・・ごきげんよう、祥子さま」


ぶっきらぼうに言い放つのが可南子ちゃん

園児にしては高い身長、長い髪、そして近寄りがたい雰囲気を漂わせている

一匹狼で、瞳子ちゃんとはかなり仲が悪いらしい

祐巳を崇拝していて、よく私の家の周りをうろついている

 

毎度の事ながら、この顔ぶれを見ているとため息が出てくる

本当はすぐにでも祐巳と帰りたいのだけれど、彼女達がそれを許してくれない

毎日毎日、この場を切り抜けるのは、相当労力が要ることだった


「あら祥子さま、ため息なんて吐かれて。どうかされたんですか」


突然声をかけられる

弾かれるように顔を上げると、志摩子が微笑みながら佇んでいた


「し、志摩子?どうしてここに」


「どうして、って。私は、乃梨子の姉ですよ。居ても不思議ではないでしょう?」


「そうじゃなくて。あなた、今日は委員会の仕事で薔薇の館に来なかったのではないの?」


「あれは方便です」


「え?」


「いえ、何でもありません。ただ、せっかくですから祐巳ちゃんのお相手をしていました」


「・・・・・・・・・」


結局のところ目的はそれね、志摩子

嘘をついて仕事をサボってまでして祐巳に会いにくるなんて

相変わらず油断のならない子だわ


「そうなの・・・あら?祐巳、手に持っているものは何かしら」


よく見てみると、祐巳は片手にビニール袋をぶら下げていた

袋の中には、お菓子が入っている


「れいさまが、もってきてくれたの」


「・・・・・・・・・」


祐巳は甘いものが大好きだ

だからよく、令はお菓子を作っては祐巳に持ってきていた

こうやって確実にポイントを稼いでいる令も、軽視できない

 

 

その後、どうにか皆をやりくるめて、ようやく私と祐巳は家路につくことができた

帰りの車の中で、今日一日の出来事を祐巳は楽しそうに話す

無邪気に喋る祐巳は、私の荒んだ心を癒してくれるのだ

私は毎日、この時間が楽しみだった


「そうなの。楽しかった?」


「うん!あ、そういえば」


「どうしたの?」


「おひるやすみにね、せいさまがきたんだよ」


せいさま?

聖さま・・・白薔薇さまのことか


「・・・聖さま?一体何しに」


「ぎゅうって、ゆみのことだきしめてくれたの」


「・・・・・・何ですって」


「せいさま、まいにちきてくれるんだよ」


「・・・・・・・・・」


ここのところ、昼休みになっても姿を見かけないと思ったらそういう事だったのか

まさか毎日、幼稚舎まで言って祐巳に会いに行っていたとは

不本意なことに、祐巳は白薔薇さまのことを気に入っている

祐巳は白薔薇さまに会うと、いつも以上に顔を輝かせるのだ

白薔薇さまはどこか子供っぽい部分もあるから、そういうところで気が合うのかもしれない


「それで、ほっぺにちゅーしてくれたの」


「・・・・・・・・・」


節操のない人だとは思っていたけど、まさか子供にまで手を出すとは

白薔薇さまめ

今度からロリ薔薇さまと呼んでやろうか


怒りに震える私をよそ目に、祐巳の口からはどんどん衝撃の事実が飛び出してくる

紅薔薇さまと出かける約束をしたとか

黄薔薇さまに家族を紹介したいと言われたとか

令と由乃ちゃんに一緒にお茶会をしよう誘われたとか

乃梨子ちゃんに仏像を見に行こうと誘われたとか

瞳子ちゃんに舞台を見に行こう誘われたとか

可南子ちゃんとツーショット写真を撮る約束をしたとか


皆から慕われているのに、当の祐巳は全く気がついていない

この鈍感なところも私は好きだけど、それ以上にこの現実には目を背けたくなる

周りを見回せば、ライバルばかりなのだ

負ける気はしないけど、曲者揃いだけに、さすがに骨が折れそうだった


「おねえさま?どうしたの?ぐあい、わるいの?」


こめかみに手を当てている私に、祐巳が心配そうに声をかけてくる

私はすぐさま笑顔を作ると、祐巳に向き直った


「何でもないわ、祐巳。心配かけて、ごめんなさいね」


そう言って、祐巳の頭を撫でてあげる

祐巳は気持ちよさそうに目を細めると、私の腕に抱きついてきた


「おねえさま、だいすき」


「ゆ、祐巳・・・」


私は天を仰ぐ

涙がこぼれないように

きっとこういうのを、幸せというのだろう


「私も大好きよ、祐巳・・・・・・って、あら?」


祐巳を抱きかかえてあげようと思ったら、祐巳の胸元に何かキラリと光るものがあった

目を凝らしてよく見てみると・・・


「・・・ロザリオ?」


そう、紛れも無くそれはロザリオだった


「祐巳、これ、どうしたの」


怪訝な表情を作って祐巳に訊ねると、祐巳は照れくさそうに頬を緩める


「これ、おねえさまからもらったの」


「・・・え?」


お姉さまから貰った、って

私はロザリオを渡した覚えはない


「私、こんなものあげた記憶無いわよ」


「さっき、おねえさまにもらったの」


「だから、私は・・・」


そこで私は、ふと気がつく

ロザリオを貰ったという事は、姉妹の契りを結んだという事だ

スール制度は高校からだけど

祐巳の言う「お姉さま」って、祐巳にロザリオを渡した人物の事じゃないだろうか


「・・・祐巳。お姉さまって、誰かしら?名前は」


「しまこさま」

 

・・・・・・・・・

 

そうか

そういう事だったのか

今日、放課後に志摩子が幼稚舎に居た理由は

さすがに白薔薇さまに頂いたロザリオとは別のものだったけど

それにしても志摩子、いい度胸してるわ

よりによって私の妹の祐巳に手を出すなんて


さてどうしてくれようか、と考えていると

突然祐巳が、鞄の中をごそごそと探り始めた


「・・・祐巳?どうしたの」


しばらくして祐巳が鞄から取り出したのは

 

ジャラリ

 

3つのロザリオだった

 

「ようこさまと、えりこさまと、せいさまにもらったの」


「・・・・・・・・・」


多分、祐巳はこのロザリオの意味を、あまり良くわかっていない

ただ、くれると言ったから貰っておこう位にしか思っていないのだ

でなかったら、こんなにいくつもロザリオを貰うわけがない

それにしても既に妹がいる薔薇さま方までロザリオを渡すとは

何だかリリアンのスール制度が、よくわからなくなってきた

 

その日の夜、私は祐巳が貰ってきたロザリオを捨てようとした

が、祐巳が泣いてしまったので、結局持たせる事になってしまった

ただ何人も「お姉さま」がいては紛らわしいので、名前の後に「お姉さま」を付けることで納得してもらった

 

「はぁ・・・姉の心妹知らずとは、よく言ったものだわ」

 

私はひっそりとため息を漏らす

でも隣で穏やかに寝ている祐巳の寝顔を見ていたら、どうでも良くなってきた

私達は心と心で繋がっているはずだから

いちいちそんな事に目くじらを立てる事は無いのだ

 

「おやすみなさい、祐巳」

 

そう呟いてスタンドの電気を消す

祐巳の寝息を子守唄に、その日は久しぶりにぐっすりと眠る事ができた

 

 

数日後

祐巳の首にかけられていたロザリオは、4つから1つへと減っていた

 

「祐巳、ロザリオはどうしたの?」

 

「のりこちゃんと、とうこちゃんと、かなこちゃんにあげたの」

 

 

・・・・・・・・・

 

 

私の悩みは、きっとこれからも尽きる事は無い

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